僕は九州のド田舎の出身である。田舎者というのは良い意味で自分の生まれ育った地元を愛している人もいて、他所の文化よりも「おらが村が一番」と思ってしまうところがある。

悪く言えば都会から来た人を値踏みするのが当たり前みたいな風潮が、少なくとも僕の地元の宮崎の県北あたりではまかり通っていた。

ちょっとした地方都市から嫁いできた若い女性の手を見て「苦労しとらん手じゃ」みたいな小言をかましたりね。今はわからないけど、少し前まではそんな風潮も一部にあったのだ。

で、こういう風潮に染まってしまうと、他所に出向いてもいちいち地元と比べて優越感に浸ろうとする悲しき田舎者というのが出てしまう。今日はそういう人の話をしていきたい。(文:松本ミゾレ)

「道端歩いていいのは精々高校生までだろ」

先般、5ちゃんねるに「東京旅行したんやが大の大人が道端歩いててびっくりしたわ」というスレッドが立っていた。都会育ちの方にとっては、「どういう意味?」と混乱してしまうスレッドタイトルである。

この田舎者のスレ主は本文において「恥ずかしすぎるだろ、めっちゃ歩いてるやついてワロタわ」や「クルマ使えや」とも書き込んでいる。そう。彼は恐らく都会の交通インフラの充実具合を知らないし、都会の駐車場事情も知らないから、こういうことを書き込めるのである。

さらには「道端歩いていいのは精々高校生までだろ」とも主張している。これを普通に言い換えれば「おらの村では電車もバスもねえし、車がねえとどこにも行けないんだから車は必須だろ」ということになる。さらにスレ主の場合は、都心にいても「成人したら車がないとダサい」という田舎の価値観が抜けないのだろう。

そんな田舎者が何しに東京に出てきたのか非常に気になる。ここまで屈折した思想に染まった人がこのコロナ禍で何のために上京したのか。そして上京したことを地元の仲間たちは知っているのか。知っているのであれば村八分にされるのではないか。同じ田舎出身者として心配してしまうところだ。

田舎のルールに縛られたままだと他県に行っても不便でつまらない
もっともこういうスレ主の価値観って、東京生まれ東京育ちの人にはなかなか理解できないところだろう。田舎は実際車社会だし、自家用車がないと生活必需品の買い出しもままならない。

バスも1時間に1本くればいい方だし、電車はダイヤが増えるどころか利用者がどんどん減るので廃線になることも。なのでこのスレッドを立てた田舎者が、目の前の東京の情報を脳みそでうまく咀嚼処理できず、とりあえずいつものノリで小馬鹿にするのも、これは仕方がないことなのかもしれない。