0001きつねうどん ★
2022/02/20(日) 08:10:02.62ID:CAP_USER一番思い出深い瞬間は、8位になった平昌五輪女子1人乗りの試合だ。「スタートラインでは静かにスタートしましたが、カーブを曲がるたびに私の名前を叫ぶ声が聞こえました。コースを降りていくほどますます大きくなり、最後にはとてつもない歓声が聞こえました。本当に夢のようでした」。女性アイドルグループRed Velvet(レッドベルベット)の曲『Red Flavor(レッドフレーバー)』をよく聞くのも、平昌五輪開会式の時に聞いた曲だからだ。「あの時のことが思い出されて、気分が良くなるんです」。
■「幸せな道のり 韓国人のままでいる」
平昌五輪に出場した帰化選手15人のうち、北京五輪に出場したのは3人だけだ。残った理由を尋ねたら「当然です」と言った。「韓国が私の家だし、好きだからです」。今回は太極旗のネイルアートも施した。「私は大韓民国の国民で、韓国代表のチームメイトたちと共にいるという意味です」。北京への道のりは決して容易ではなかった。2019年2月のワールドカップ(W杯)でコースの壁面に衝突、両手の骨と尾骨が折れる重傷を負い、手術を受けた。「クッションなしでは座れないほどでした。その1年後にはあきらめたいと思いました。それなのに、理学療法士が『君はよくやっている』と励ましてくれて、力がわいてきました」。昨年夏、走り込みを再開して、本格的に体を仕上げた。「少しずつ良くなっているのを感じて、またやってみようと思い、五輪にも挑戦しました」。
フリシュはしばらくドイツに行き、家族や友人たちと旅行をして、ゆっくりしたいと言った。医学・リサーチ分野のインターンをしながら、今後何をするのか考えていく予定だ。子どものころから関心があった神経科学について学びたいという思いもある。
「勉強が終わったら韓国に戻ってきます。もう韓国抜きには私のアイデンティティーを語ることができません。韓国人として残り続けます。リュージュ韓国代表チームのために働くことについても考えているところです。今すぐではありませんが、後に代表チームの方で私を必要としてくれるなら、お役に立ちたいと思います」「素晴らしい方々のおかげで大きなけがも乗り越えられたし、自分のベストが尽くしせたと思います」「韓国代表チームと共にいた時間はとても幸せでした。助けてくださった皆様、ありがとうございました」と感謝の気持ちを語った。
中国・延慶=ソン・ウォンヒョン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
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