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プーチン大統領はKGB出身(写真/アフロ)

 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領(69才)の暴挙に世界が怒りの声を上げている。ウクライナを侵攻し、核の利用さえちらつかせるプーチン氏は、ソ連の諜報機関「KGB」出身だ。

 プーチン氏にとって「KGBのスパイ」は憧れの職業だった。しかし、当時のソ連は歴史上でも珍しい平穏な時代だったこともあり、彼が思い描いたような活躍の場はなかった。ウクライナ出身の国際政治学者グレンコ・アンドリーさんはこう言う。

「どこの国でも、独裁者というのは“普通の人”だった過去を隠したがるものです。プーチン氏は自身のKGB時代について“東ドイツに配属されて諜報活動に従事した”と話していますが、実際は映画『007』のような特殊任務を担当する工作員ではなく、裏方の事務作業を担当する平凡な職員だったようです」

 東西冷戦下の東ドイツに赴任中、敵である西ドイツの情報を収集するためにやっていた仕事は、主に新聞の切り抜きだったという。

 やがてベルリンの壁が崩れ落ち、母国ソ連も崩壊に向かう中、プーチン氏は失意の中で母国に戻った。すでに40才近い中年になっていた。レニングラードに戻った頃は、タクシー運転手をしていた時期もあったという。

 こうした背景が「徹底的に力を誇示する男」を作り上げたとみるのは、東京外国語大学大学院・総合国際学研究院教授の篠田英朗さん(国際政治学)だ。

「プーチン氏はKGBとして高いプライドを持っていました。それなのに、ソ連が崩壊したことで自分自身も没落し屈辱を味わった。その苦い経験があるからこそ、プーチン氏にはいまでも“かつて強かったロシア(ソ連)が弱くなったことが悔しい”“ロシアを強くすることが自分の目標であり、宿命である”という思いが強いのです」

 1990年、KGBを退職したプーチン氏は政治活動を開始した。それからわずか10年足らずで政界を上り詰め、2000年に大統領に就任する。

 その後も不可解な出来事は続いている。2006年には彼の陰謀を追っていた女性ジャーナリストが自宅アパートで射殺され、同年、プーチン氏を批判した元KGB中佐が多量の放射性物質を摂取させられ暗殺された。2015年にはプーチン政権を批判していたネムツォフ元副首相がモスクワ市内で射殺された。プーチン政権の関与ははっきりしていないが、彼にとって邪魔な人物が次々と不審死を遂げているのは事実だ。前出の篠田さんが言う。

「長年、ロシアの最高権力者として君臨してきたことで、プーチン氏はもはや自分のことを『皇帝』と位置付けている。生まれながらに雲の上の存在だから、下々の人間の言うことに耳を貸す必要はないと思い込んでいるのでしょう」

 暗くゆがんだ過去は権力で葬り去ることができても、現在進行形の戦争ににじむ私利私欲は隠せない。ウクライナの平穏な日常が早く取り戻されることを願うばかりだ。

※女性セブン2022年3月17日号

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