https://www.cnn.co.jp/storage/2022/03/18/c8a799892467dfef8e09ebb2fc30f13c/t/768/432/d/aircraft-carrier-kitty-hawk-scrapping-history-intl-hnk-ml-super-169.jpg
甲板に艦載機を配置し、メキシコ湾を航行する米空母キティホーク=2003年3月/Steve Helber/AP

韓国、ソウル(CNN) それはかつて、インド太平洋における米国の軍事力を示す最大のシンボルだった。ベトナムからペルシャ湾まで数々の戦闘を経験し、ソ連の潜水艦との衝突事故も生き延びた。

だがUSSキティホークと呼ばれた艦船の輝かしい日々も幕を閉じる。役目を終えた巨大空母はワシントン州からテキサス州まで、約2万5750キロの最後の花道を歩み出した。その後は解体され、スクラップとして売りに出されることになる。

昨年、テキサス州ブラウンズビルにあるインターナショナル・シップブレーキング・リミテッドは、退役軍艦の処理を担当する米海軍海洋システム・コマンドから1ドル足らずでこの艦船を買い取った。

全長約319メートル、幅約77メートルの空母は巨大すぎてパナマ運河を通過することができない。そのためキティホークは今後数カ月かけて南米の海岸沿いを進み、メキシコ湾を抜けて、最終目的地へと向かう。

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かつて空母キティホークだった船体がタグボートに曳航され、ワシントン州の海軍基地からテキサス州の船舶解体施設へ向かう/US Navy

初出航は1960年。ライト兄弟が初めて動力飛行機を飛ばしたノースカロライナ州の地名にちなんでキティホークと名づけられた艦船は、2009年に就役を解かれるまでおよそ50年間、米海軍での任務に服した。

キティホークは米国最後の石油動力空母。ニミッツ級の原子力空母が現れる前の時代の遺物だ。

間もなく後に残るのは、数々の物語に彩られ、時に波乱含みだったその歴史だけとなる。ベトナム戦争から冷戦期の大部分にまたがるその時代には社会が激しく揺れ動き、母国の姿を一変させる出来事も起きた。

人種暴動とベトナム戦争
1960年代初頭から10年間、キティホークはベトナム沖に停泊する米軍の中核を担った。

一時はここから戦闘機が1日100回以上もベトナムに出撃した。南シナ海のこの一帯はヤンキーステーションとよばれ、米海軍の艦隊が北ベトナムやベトコン軍を攻撃しようと待機していた。

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ロシア製のツポレフTu16「バジャー」偵察爆撃機1機が米海軍の護衛戦闘機とともに空母キティホークの上空を飛行する。冷戦期の北太平洋での活動中=1963年1月/Museum of Flight Foundation/Getty Images

のちに空母と航空団は、大統領殊勲部隊章――並外れた英雄行為を称える栄誉――を授与された。これは67年12月から68年6月までのベトナムでの任務を称えるもので、その中には68年春の北ベトナムによるテト攻勢の際、米軍と南ベトナム軍を支援した任務も含まれる。

キティホークは72年にベトナムで最後の戦闘を迎えたが、この最終任務に当たる間、のちに議会の調査団が「海軍の歴史の残念な1ページ」とよぶ事件の舞台となった。

海軍歴史遺産コマンドのウェブサイトの報告書によれば、フィリピン寄港の後ベトナム配属が延長されたのをうけ、艦内では緊張状態が高まっていた。そうした中、人種暴動が勃発(ぼっぱつ)した。

暴動に至るまでの経緯については諸説ある。配属の前夜フィリピンのバーで起きたけんかで、黒人水兵が調査を受けたのがきっかけだったという説もある。