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炎を上げて燃える住宅=2021年8月、宇治市

 「韓国が嫌いだった。日本人に注目してほしかった」。朝鮮半島出身者の子孫が暮らす京都府宇治市の「ウトロ地区」の住宅に火を付けたとして、非現住建造物等放火の罪で起訴された男(22)は、そんな供述をしたという。この事件が、民族蔑視に基づく「憎悪犯罪(ヘイトクライム)」として注目を集めている。なぜ、こんな事件を起こしたのか。記者らは男と手紙をやりとりしたほか、男の知人らにも取材。ヘイトクライムについて考えた。(共同通信=牧野直翔、川村敦)

 ▽京都と愛知で起きた放火事件

 「はよ逃げてくれ!」「危ないで!」。火災は2021年8月30日午後4時ごろに起きた。激しい火柱と、辺りを包み込む煙。落ち着いた住宅街が、突如として混乱に陥った。空き家から出火し、倉庫や住宅など7棟を全半焼した。けが人こそなかったものの、命を落とす人がいてもおかしくない状況だった。

 出火原因は不明だったが、その後放火事件と判明する。京都府警は12月6日、非現住建造物等放火の疑いで、無職有本匠吾被告を逮捕したと発表した。

 被告は在日本大韓民国民団(民団)の愛知県本部の壁に同年7月、火を付けたなどとして、器物損壊の疑いで愛知県警に逮捕されていた。二つの事件は、名古屋地検と京都地検がそれぞれ起訴している。

 共通するのは「朝鮮半島」「韓国」といったキーワードだ。朝鮮半島にルーツのある人や物をターゲットにしたヘイトクライムではないのか、と多くの人は思うだろう。事件の背景を考えるために、まずはウトロ地区の歴史を振り返ってみる。

 ▽ウトロの起源は戦時中の飛行場建設

 時代は戦前にさかのぼる。宇治市やウトロ関係者によると、日中戦争さなかの1940年、政府主導で現在の宇治市に当たる地域に軍用飛行場の建設が始まった。その工事に従事したのが当時日本の植民地だった朝鮮半島の出身者たちだ。

 その数は約1300人とも言われ、「飯場」と呼ばれた簡易的な宿舎で生活していた。45年、終戦に伴い飛行場建設は中止されたが、戦後の社会的混乱の中、身寄りがないなどさまざまな事情で朝鮮半島に戻れなかった一部の人たちが、付近に残った。

 市によると、ウトロは戦前ごろまでは「宇土口」という漢字の地名だった。くぼ地を意味するという。確かな資料は残っていないが、市の担当者は「実際にくぼんだ地形でよく洪水が起きていた。住民がカタカナ読みしたのが定着したのではないか」と推測する。現在は宇治市伊勢田町ウトロが正式な住所表記だ。

 地区を取り巻く状況は89年に大きく変わった。飛行場建設を担っていた会社の後身から地権を入手した不動産会社が、「住民が土地を不法占拠している」として立ち退きを求める訴訟を京都地裁に起こした。

 住民側は最高裁まで争ったが2000年、敗訴が確定。一方で、日韓両市民による募金や韓国政府の支援もあり、11年までに土地の一部を買い取り、問題は解決した。