忠犬ハチ公の孫に当たる犬が仙台ですき焼きにされた-。こんなショッキングな情報が4月上旬、交流サイト(SNS)上で話題になり「事実関係を確かめてほしい」と望む声が河北新報社に寄せられた。取材の結果、戦後の混乱が続く仙台で実際にあった話であることが分かった。(報道部・武田俊郎)

■「あわれ」

 本紙データベースを検索すると、終戦から3年余り後の1948年12月9日付朝刊に「あわれスキ燒(焼)に 忠犬ハチ公の孫殺さる」との見出しで、事件記事として掲載されていた。
 記事によると、この犬は「大柄な赤毛の秋田犬」で名前は「鉄」。男が鉄を盗んで仲間と共にすき焼きにして食べ、仙台南署に占有離脱物横領罪で摘発されたと報じている。
 記事には鉄が「仙台市田町」で飼育されていたとある。現在の青葉区五橋2丁目に当たる。当時を知る人がいないか、地区を訪ねて回った。

■食糧難の時代

 当時10代前半で長年当地で暮らす不動産業の80代男性は「ハチ公の孫がいたことは知らないが、『赤毛の犬はうまい』という話は聞いたことがある」と教えてくれた。
 男性によると、当時は食べ物に事欠き、住民は近くの広瀬川でコイやアユ、オイカワなどを釣ったり、畑で芋を栽培したりして食料を確保。畑の作物がよく盗まれていたという。男性の証言からは、戦後の食糧難で犬を食べる人もいた中で、赤毛の鉄が狙われた可能性が浮かび上がる。

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「ハチ公の孫」の消息を伝える河北新報の記事(一部を加工しています)

■鍵は4月8日

 それにしても、なぜハチ公の孫が突然話題になったのか。
 「ハチ公の銅像の除幕式には各地から参列する肉身(肉親)の2匹とともにその出席を予定され…」。当時の記事には、鉄が祖父の銅像のお披露目式に参加予定だったと書かれている。
 ハチ公像は古里の大館市にもあるが、東京・渋谷駅前のものが最も有名だ。大館市のホームページなどによると、渋谷の初代銅像は戦時中の44年、金属類回収令で軍部に供出された。再建を望む市民の声を受け、48年に完成したのが現在の銅像だ。
 毎年4月8日の「忠犬ハチ公の日」には、渋谷や大館のハチ公像周辺で慰霊祭が開かれる。この記念日を巡るSNS上のやりとりの中で、孫の存在がにわかに注目されたようだ。
 鉄のような最期は、動物愛護が重視される現代では考えられないが、人も生きるのに必死だった時代には確かな現実だった。

[忠犬ハチ公] 1923年11月に大館市で生まれ、生後約50日で上野英三郎東大教授に譲り渡された。上野教授の死後も東京・渋谷駅で帰りを待ち続ける姿が感動を呼び、渋谷駅前などに銅像が建てられた。物語は映画化され、「ハチ公物語」(87年)とハリウッド版「HACHI 約束の犬」(2009年)が、いずれも大ヒットした。

https://kahoku.news/articles/20220430khn000043.html