「軍の命令だ」と兄はいって3人のわが子を手にかけ“自決”した

「真実は曲げられない」と語り始めた宮平春子さん
 「日本軍の命令がなければ絶対、死ななかった」「米軍に捕まるより自決しなさいといわれて、手榴弾を渡された」…
 文部科学省の検定意見で、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」について日本軍の関与・強制が高校歴史教科書から削除されたことに抗議し、一一万六〇〇〇 人が集まった県民大会。この日、沖縄中が怒りに燃えました。会場行きのバスに乗りきれなかった人たちが、一日中街にあふれていました。
        
「玉砕の軍命があった」と語る宮平春子
さん(座間味で)
 なぜ今になって、軍の命令をなかったことにするのか。真実は曲げられない。
 あまりにつらい記憶のため、これまで口を開かなかった人たちが体験を語り始めています。宮平春子さん(82)もその一人。県民集会でメッセージを代読してもらいました。慶良間諸島・座間味島に住んでいます。
 戦前、座間味島は半農半漁の静かな島でした。一九四四年九月、日本軍は慶良間諸島の座間味島、慶留間島などを、特攻艇の秘密基地にしました。座間味島に 上陸した日本軍はおよそ一四〇〇人。村人は特攻艇を隠す壕掘りや食糧確保に動員され、女性も軍の経理や炊事、看護などの軍属として働いていました。
 住民は否応なく軍の秘密も知ることとなり、他の島にいくにも許可が必要、自由な移動もできなくなりました。
 一九四五年三月二三日、米軍の空襲で島の建物はほとんどが破壊炎上しました。海は米艦船で埋め尽くされ、島々は完全包囲されました。二四日も空襲が続 き、二五日には艦砲射撃も始まりました。住民たちは小さな島で逃げ場を失い、避難壕を転々としていました。 
 住民には、日本兵から手榴弾が配られていました。「鬼畜」のアメリカに捕まったら「男は八つ裂きにされ、女は強姦されて殺される」だから捕まる前に潔く「自決しなさい」と。
 米軍上陸の前夜、「三月二五日、忠魂碑前に集合」という命令が出ました。忠魂碑は、毎月八日の大詔奉戴日に戦意高揚の儀式がおこなわれていた特別の場所 でした。いよいよ最期の時がきた。住民は子どもたちに晴れ着を着せ、大切にとっておいた白米を炊き、食べさせました