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画像:ハプスブルク家の紋章。wikiより引用

中世から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパで強い勢力を誇ったハプスブルク家。

現在のオーストリア、スペイン、ドイツなどの広大な土地を統治し、新大陸にも勢力をのばし「日の沈まぬ帝国」と言われた。

さらには神聖ローマ帝国の皇帝の座も長年保持したヨーロッパの名門家系のひとつである。

ヨーロッパを学ぶにあたって、このハプスブルク家を知らずにいることはおそらく不可能だろう。
それくらいに、歴史のいたる場所、いたる時にハプスブルク家の人間がかかわっているのだ。

ハプスブルク の結婚と出産

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※マリア・テレジアと家族たち。wikiより引用

1273年、大空位時代(ドイツで皇帝を名乗る人物が複数登場して、混乱していた時代)はハプスブルク家のルドルフ1世が皇帝に選出されたことで終わりを迎えた。
ハプスブルク家が歴史の舞台に大きく一歩踏み出した瞬間である。
彼から始まるハプスブルク家の血筋であるが、その血の維持には強い方針があった。

「戦争は他家に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ。」

ハプスブルク家は戦いに勝利して他国の土地や権力をもぎ取るのではなく、他国の要人またはその近親者と結婚をすることで勢力をのばした。
ある意味とても平和的な家系である。

当時の結婚としては当たり前だが、その結婚のほとんどが政略結婚であった。
しかし、外部から勝手にくっつけられた結婚であるにも関わらず、ハプスブルク家は夫婦円満で子だくさんであることが多かった。

女帝と呼ばれたマリア・テレジアなどは16人の子供を産んでいる。
そのほとんどが安産であったというから、もはや特技:出産といっても過言ではない。

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※少女時代のマリア・テレジア。wikiより引用

ちなみにマリア・テレジアはとても綺麗である。

特徴的すぎる顔

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※マクシミリアンと家族後列左からマクシミリアン1世、フィリップ美公、マリー女公、前列左からフェルディナント1世、カール5世、ラヨシュ2世。wikiより引用

ハプスブルク家の人物、何人もその肖像画が残されているが、その顔にはある特徴がある。