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「清水の舞台から飛び降りる」ということわざから生まれた落語がある。

京都のさる大家の娘が清水の舞台から飛び降りるというので、大勢が見物に集まった。娘はなぜ飛び降りるのか、口々に勝手な憶測を並べ立てていると、くだんの娘が美しく着飾り、女中を連れて登場。清水の舞台からあたりを見回していたが、娘は急にお帰りの様子。どうしたん? と、見物の衆はぞろぞろ娘の後について行く。と、娘は伴の女中に「あれだけ殿御を集めても、好い男はいないものじゃなあ」

今や滅多に聞かれない噺だ。「清水の舞台から飛び降りる」というのは、「思い切った決断を下す」という意味のことわざ。もともと清水寺の御本尊は千手観世音菩薩。清水の舞台から飛び降りて、助かればどんな願いも叶うと言われた。が、ほんまに飛び降りる物好きがいたのだろうか。それがいたのだ。それも一人や二人やない。調べてみると、江戸中期から幕末にかけて234人も飛び降りていた。

清水の舞台は高さ約13㍍。ビル4階の高さ。が、234人中200人は助かったとか。生存率85%。飛んだ人の53%は10~20代の若者。最高齢は80歳。80にもなって何考えてはんの? 最年少は12歳。飛び降りた人の70%が女性やったとも。

明治になって政府が禁止令を出したので飛び降りる人はいなくなったというが、ホンマ物好きな人がいたもんだ。また、飛び降りた多くの人は、挿絵のような大きな傘を持って飛んだらしい。これ、落語「愛宕山」で小判を求めて傘を持って谷底へ飛んだ幇間の一八そのもの。あの噺もあながち荒唐無稽ではなかったのだ。

「殿集め」、噺が出来た当初はたった一人の小娘に大の大人が大勢、手玉に取られたところが痛快でオチもよく出来ていると評価されたのだろう。が、現代では金持ちのお転婆娘のわがまま勝手に見えて、後味が悪いし、今なら命をもてあそぶなと叱られるだろう。(落語作家 さとう裕)

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