マンチカンの恐るべき命名の謎。
まさにあのタイプの集団意識そのものだ。
新興宗教のほうでもそういう勝手な事をさせるような
教義を伝授していたとしたら拙いでしょうね。
あの当たり前だと言わんばかりの増長した態度からお察しして、
外部からの文章の後押しがあったとかのいいわけや、
過去の過酷な状態を教材にされてきた恨みや
それを利用できるという特権意識があったと思います。