安倍晋三元首相が奈良市で選挙の街頭演説中に銃撃され、非業の死を遂げてから1カ月が経過した。国会での追悼演説もまだ行われず、容疑者が動機を世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への恨みと供述したことから、容疑者への同情論まで出てくる異常事態となっている。

 「宗教と政治」が槍玉に

メディアの報道は家庭連合や同連合と政治家との関係に集中。事件の真相究明は片隅に追いやられ、警備の大失態など検証すべき重要問題から国民の目が逸(そ)らされているのは極めて憂うべき状況だ。

安倍氏の殺害で家庭連合を社会の批判の的にしようとしたと供述する容疑者の狙い通りの展開となっている。テロによって社会を動かし、同情も得ることができるのであれば、模倣犯を生みかねない。ホームセンターで材料を購入しインターネットを参考に手製の銃を作って犯行に及んだとなればなおさらだ。

メディアは一方的で誤解を招くような情報を流し、視聴者を煽(あお)ることがあってはなるまい。

動機に政治的な意図はなく、個人的な怨恨のみと今の段階で決め付けることはできない。一宗教団体への恨みが、首相退任後も大きな影響力を持つ国際的な政治家の殺害に結び付くには距離がある。その間に何があったのか。協力者はいないのか。いずれにしてもテロ行為であることは明らかで、これを容認することは断じて許されない。

家庭連合と政治家との結び付きに注目が集まり、同連合や友好団体のイベントに祝電を送ったことまで槍玉(やりだま)に挙げられている。各党が関係のあった議員の名簿を公表するなど中世の「魔女狩り」の様相を呈し、第4権力の異名もあるメディアが異端審問官のごとき役割を果たしている。21世紀の日本を中世に逆戻りさせてはならない。

岸田文雄首相は、家庭連合との関係について各閣僚に点検を指示したが、政治家と宗教との関わりは世界のどこでも普通のことである。政教分離は信教の自由を守るためにある。憲法では政府が特定の宗教に利益を与えることを禁じているが、政治が宗教と関係を持ってはいけないということでない。宗教団体を支持母体とする政党もある。

今回の事件で家庭連合は厳しい批判にさらされているが、正当な批判には謙虚に耳を傾け、改善すべき点は改善すべきである。とりわけ容疑者の家庭の崩壊を防げなかったことに深い反省を求めたい。

容疑者は11月まで鑑定留置となっているが、事件には謎も多い。家庭連合への恨みが、同連合に近いようだと判断されただけの政治家の殺害になぜ結び付くのか。安倍氏には少なくとも2発の銃弾が命中したが、致命傷を与えたとみられる銃弾が見つかっていない。容疑者の単独犯行なのか、協力者はいなかったのか。協力者がいれば事件の性格は大きく変わってくる。

 政府攻撃の材料にするな

安倍氏銃撃事件は内閣改造にも影を落としている。野党が森友・加計問題のように政府・与党攻撃の材料にしようという意図は見え見えだ。戦後最大の政治家の死を政争の具とすることは許されない。