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2012年11月の党首討論で対決した野田氏(右)と安倍氏。野田氏から「16日解散」が飛び出した=衆院第1委員室

安倍晋三元首相の「国葬(国葬儀)」について、立憲民主党が泉健太代表ら党執行部の欠席を決めた翌日、同じ立憲民主党の野田佳彦元首相が「葬儀に出ないのは私の人生観に外れる」と述べて出席の意向を示したのには感心した。

野田氏は「伊藤博文以来、首相経験者は64人しかいない。私も味わった重圧と孤独を最も長く経験された方だ」としたうえで、「長い間お疲れさまでした、と花を手向けてお別れしたい」と語った。

私が感心したのは、野田氏が国葬の判断については、「国会の関与がなく政府の説明が不十分だった」と批判し、安倍氏の評価についても、「今後検証していくべきだ」と言っているところだ。

政府と意見は違うが、今は静かに花を手向けようという、真っ当なことを言う人がやっと出てきた。それにしても、他の立憲民主党の人たちは本当に国葬に出たくないのだろうか。

先週、辻元清美参院議員が国葬の招待状の返信はがきに「欠席」とマルを付けた画像をわざわざSNSに上げていると批判したが、実は彼女は東京・芝公園の増上寺で行われた通夜には夜遅くに大阪から駆けつけた。ただ、受付が終わっていたので「外から合掌だけさせていただいた」と明らかにしている。

泉氏も増上寺での葬儀の後、棺を乗せた車列が国会を通ったときには、ひときわ深くお辞儀をして見送っていたのを覚えている。2人とも安倍氏の死を悲しみ、弔意を示していた。本当は国葬に行きたかったのではないか。

ところが、立憲民主党としては安倍氏の功績を認めるわけにはいかないし、野党第1党として与党と「常に対決しないといけない」と思い込んでいる人がたくさんいる。

野田氏といえば、2012年11月の安倍氏との党首討論を思い出す。当時首相だった野田氏が唐突に「16日に解散をします。やりましょう」と宣言した。自民党総裁に返り咲いたばかりの安倍氏がやや狼狽(ろうばい)気味に、「約束ですね、よろしいんですね」と繰り返し確認した。歴史に残る対決だった。

あの時の野田氏の迫力は、安倍氏を圧倒しているように見えた。ただ、皮肉なことに、衆院選で民主党は予想以上の惨敗を喫した。政権を失っただけでなく、その後、分裂した。野田氏の解散宣言は安倍氏の思うつぼだった。このため、旧民主党では野田氏を「戦犯」と批判する声がいまだに強い。

安倍氏への国会での追悼演説が、まだ決まっていない。私は、安倍氏と「歴史的対決」をした野田氏か、安倍氏に7年8カ月、官房長官として「仕えた」菅義偉氏かのどちらかと思っていた。菅氏が国葬で弔辞を読むので、追悼演説は野田氏にやってもらえばいいのではないか。野田氏には論敵を最大の敬意をもって送ってほしいのだ。 (フジテレビ上席解説委員・平井文夫)

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