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Photo:PIXTA

10月14日、日本の鉄道は開業150周年を迎えた。世界一正確ともいわれる鉄道はなぜ可能となったのか。そして、鉄道の発展は都市をどう変えたのか。計3回で解説したい。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

鉄道は開業時から
独自に定時法を採用
 10月14日、日本の鉄道は開業150周年を迎えた。明治維新直後に鉄道計画が動き出してから開業するまでのエピソードは以前取り上げたので、今回は鉄道が日本人に及ぼした影響について考えてみたい。

 前回の記事で鉄道が仮開業したのは旧暦の「明治5年9月12日」だったと述べた。明治政府は明治5年を12月2日で切り上げて明治6(1873)年1月1日から新暦を採用したが、この時に切り替えられたのは暦だけではない。時間についても定時法を正式に採用したのである。

 それまで使われていた不定時法では日の出から日没までを昼、日没から日の出までを夜として、それぞれを6等分して「一刻(いっとき)」としていた。あわせて12の時刻には十二支を充て、真夜中の「子」から始まる。正午に訪れるのが「午」なので、その前が「午前」、それ以後が「午後」となるわけだ。

 だが昼と夜の時間がほぼ同じになるのは春分と秋分だけで、夏は昼が長く、冬は夜が長くなる。つまり季節によって一刻の長さが変わるのが不定時法で、一年中、時間が変わらないのが定時法だ。

 さて思い出してほしい。鉄道が仮開業したのは明治5年5月7日、そう鉄道が動き出した時、日本は不定時法で時間が進んでいたのである。しかし、毎日時間が変わってしまっては緻密なダイヤグラムに従って運行する鉄道は成立しないので、鉄道は開業時から独自に定時法を採用していた。

 既に東京では陸軍が(定時法の)正午に大砲を鳴らしており(昼ドン)、鉄道だけが先駆けていたわけではないが、いずれにせよ鉄道は定時法によって動いていたのに対し、一般庶民は不定時法のもとで暮らしていたということになる。

 ところが仮開業時に発行された日本初の時刻表には「乗車する人は遅くともこの表示の時刻より15分前に駅に来て切符購入などの手続きを済ますこと(現代訳)」と書かれていた。江戸時代の日本人が日常的に用いていた時間の最小単位は「小半刻」つまり30分程度と言われているので、15分前行動は未知の要求であったろう(正式開業時「10分」に短縮された)。

かつての日本人は
時間にルーズだった?
 時間に厳格な日本人はすぐにこれに順応したのかと思いきや、この頃の日本人は非常に時間にルーズであったという。江戸時代の日本では寺院が一刻ごとに鐘を打つ世界にも稀な時報システムが構築されていたというが、幕末に来日したオランダの軍人の目から見れば、満潮にあわせて頼んだ品はいつまでも届かず、新年のあいさつに出た使用人は二日も戻って来ないなど、あきれるほど悠長な民族だった。

 明治になって鉄道が開業した後も、あるアメリカ人宣教師は「日本人は列車に乗りそこなったとしても感情を荒げるでもなく平然と、おだやかで辛抱強く、数時間ものあいだ次の列車を待っている」と記している。今の日本だったらあり得ない光景だ。

 そんな日本人が動かす鉄道も、全く時間に正確ではなかった。現代の日本の鉄道の正確さは世界的に有名で、それは日本人の几帳面さや勤勉さの反映とも思われがちだ。だが鉄道は自然と時間に正確になったわけではない。