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(※写真はイメージです/PIXTA)

早稲田大学名誉教授・浅川基男氏の著書『日本のものづくりはもう勝てないのか!?』より一部を抜粋・再編集し、日本の「材料とものづくり技術」について見ていきます。

日本の「材料とものづくり技術」
今でもなお、世界に圧倒的に強い分野が日本の素材・部材・部品づくりである。

2000年以降の日本は、愚直に真面目に働く価値観が揺らぎ始め、技術系志望の若者が減り、金儲けや容易な職を求める風潮が強まった。この間、中国のものづくりが覚醒し、GDPでも日本を抜き去った。

一方、米国は1980年代から、材料とものづくりを地道に継続するよりも、四半期ごとの短期利益勝負や金融・投資に明け暮れ、ものづくりの伝統を絶やしてしまった。ラスト・ベルトは文字通り、既にさび付いた地帯となっている。

SONYの盛田昭夫は、1980年代に「ものづくりを忘れてマネーゲームに走っている米国が低迷するのは当たり前。日本人はもっと毅然としてNOが言えるようになるべきだ……」、さらに「値段は高くてもよろしい。高いだけ良いものであればそれでよい」と言い放ち、「大量に安く」をモットーとしていた当時の日本の産業界に警鐘を鳴らした。

1970年代、腕時計業界の勢力図を塗り替えたといわれる日本のクォーツ時計は、性能ダントツであったにもかかわらず、「大量に安く」をモットーに、シェアを奪い取る戦略に走った。しかし、たちまちのうちにクォーツ時計はコモディティ化し価値も値段も下落した。

今やスイスの腕時計生産量は、年間約3000万個、世界のわずか2.5%に満たないが、売上高では世界市場の5割以上を占め、10万円以上の腕時計の約95%を占める。コモディティからクオリティーへの転換の意味がここにある。

日本はものづくりに成功し、その成功体験に過剰適応した結果、ものづくりの情報化・ブランド化に敏感に対応できないばかりか、その流れに乗り遅れてしまった。その結果、日本のものづくりはGDPの21%の規模に落ち込んだ。

しかし、現在でもなお民間研究開発費の91%、輸出の94%を占めており、縮小したとはいえ、世界の民主主義国家では人口・GDPが米国に次ぐ第2の経済大国であり、その”要”がものづくりであることには間違いない。

「製品」では台湾・韓国・中国に後れを取る一方で…
最終ユーザーに直結する製品および情報システム産業では、残念ながら台湾・韓国・中国の後塵を拝するようになってしまったが、世界に占める日本の素材・部材・部品のシェアは現時点でも大きく、一部では60~100%に達している。その品質も格段に評価が高い。

高度な素材・部材・部品産業は、ほとんどが国内にその拠点があり、「部品組み立て産業」や「部品集積産業」と比較して、より研究・開発要素が高い。

中間財(部材と部品)を供給する「川上産業」は簡単には技術移転しにくく、日本企業の占有率は増している。2019年ノーベル賞を受賞した吉野彰博士が「組み立て産業が衰退しても中身の基幹的な部品や材料を担う川上産業は健闘している」と述べている点は心強い。

材料が次世代の技術開発のボトルネックになっていることは言を俟たない。多機能で高度な科学を駆使したマテリアル「知材」(三菱総研造語)が今こそ必要である。

以下に紹介する有力企業に共通するのは、独自な素材・部材によりonly one型商品を持ち、それらを世界のブランド化した点にある。