https://www.dailyshincho.com/wp-content/uploads/2022/11/2211071129_2-714x476.jpg
ソウルのバスに設置された少女像

 現在、慰安婦少女像は韓国国内に150体、海外には34体が設置されているという。日本でも「表現の不自由展」で展示されてきたが、その撤去運動が韓国から始まった。親日であるだけで罪人扱いされる国で、なぜそんな活動が生まれたのか。その中心人物による寄稿。【金 柄憲/国史教科書研究所所長】

 ***

「少女像の実物を見るのは初めて、と語ったある女性は、感極まったのか、少し涙ぐんだ」

 8月6日付で韓国・聯合ニュースが報じた日本の「表現の不自由展・京都」に関する記事の一節である。「検閲や社会的な圧力により展示中止に追い込まれたアート作品を集めて展示する美術展」と銘打たれたこの企画展で、黒いチマ(スカート)に白いチョゴリ(上衣)を着て裸足で座っている慰安婦少女像と向き合ったその女性は、乱暴に日本軍に連れ去られてひどい性的暴行を受けた幼い少女を思い浮かべたことだろう。

 韓国でもソウルの路線バスが、これと同じ少女像を前方の座席に座らせて市内を走り回り、多くの市民の注目を集めたことがあった。それを目の当たりにした市民の多くも、「表現の不自由展」を見た女性のように、涙ぐみ、罪悪感に苛まれたに違いない。

 こうした点で、この少女像を作った金運成(キムウンソン)・金曙(キムソ)ギョン夫妻のもくろみはかなり達成したといえる。

世界各地の少女像の撤去を求める運動
 目下、この少女像は日本各地を巡回中である。2019年、「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展・その後」で展示され、抗議が寄せられたために展示中止となった「平和の少女像」は、今年8月6、7日の京都に続き、同月25日から28日まで、名古屋で再び展示されることになった。

 このため私は、名古屋で展示中止を訴えるべく急遽来日し、街頭での抗議運動や記者会見を行った。同月26日には、この企画展の中で行われた少女像の作者、金運成氏とのトークイベントに飛び入り参加して、あのような少女像を製作した根拠を尋ねた。よもや私が名古屋にいるとは思わなかったのだろう、金氏は「慰安婦が証言している」とだけ言い、私の質問にきちんと向き合わなかった。

 私はいま、これら世界各地の少女像の撤去を求める運動を行っている。本稿でその一端をお伝えしようと思う。

デモに10人しか来ない日も
 韓国では、長年、日本政府に対して慰安婦への正式な謝罪と賠償を求める「水曜集会(デモ)」(毎週水曜開催)が、旧日本大使館前で行われてきた。だがコロナ禍で集会は制限され、感染拡大防止のために「一人デモ」の形を余儀なくされた。そして昨年11月1日、「段階的な日常回復」(ウィズコロナ)へ向けて防疫措置が緩和されると、申告さえすれば誰でも、人数に大きな制約を受けず集会ができるようになった。

 この緩和措置は、デモを主導する韓国最大の慰安婦支援団体「正義記憶連帯」(旧挺対協。以下、正義連)にとって、活況を呈した過去への回帰ではなく、場所を転々とする惨めで辛い集会の始まりとなった。ウィズコロナ後に初めて迎えた昨年11月3日の水曜日、正義連の集会は、約30年間守ってきた少女像の前から、隣の聯合ニュースビル前に締め出される屈辱を味わった。対抗する保守系団体「自由連帯」が先に集会の申告をしていたためだ。その1カ月後の12月1日には、聯合ニュースビル前から、国税庁の後ろにある狭い場所へと追いやられた。私が代表を務める「慰安婦法廃止国民行動」に場所を奪われたからである。

 以来、正義連は水曜デモを行う場所を探して転々とする、放浪の身となる。3年前の2019年8月14日の集会では、主催側推計で2万人にもなる人が押し寄せ、足の踏み場さえなかった。ところが資金流用問題や慰安婦との不和などが発覚し、いまはやっと10人を数えるという日も多い。隔世の感がある。