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三夏紳氏

 かつて銀幕スターという言葉には格別の響きと輝きがあった。名画や名優をあまた世に送り出しつつ時代の流れの中で消えた1942年設立の映画会社「大映」は、昭和の邦画黄金期の象徴だ。その大映で新人登用された俳優が語る、巨星二人の味わい深き思い出話。

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 勝さんには撮影所のメーキャップ室で初めてお会いしました。1962年のことです。あのドスの利いた低い声で、

「お前か、俺の代わりをやってくれたのは」

 そう呟いて、ギョロッとした目で私を見る。「こっちへ来い」と言われて近づくと、勝さんばりのツルツル頭をなでられました。

赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で、力道山が店内で刺される前年のことです。その上にあったホテルニュージャパンは勝さんの定宿でした。

 車で店に向かう道中、私は勝さんの隣に座っていました。踏切で停車していると、いきなり勝さんが「バカヤロォー!」と怒鳴った。突然のことで、私に向けて言っているのか、運転手に対してなのかもわからない。思わず凍りついちゃって、心臓が止まったような顔をしてたんでしょう。私が勝さんのほうを見ると、

「その目だよ。ショックを受けた表情。これが芝居でできないとダメなんだ」

 勝さんからの最初の演技指導でした。

つづき
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