アメリカでは黒人だけではなくアジア人も差別の標的になっている。NHK記者の及川順さんは「トランプ前大統領が新型コロナウイルスを『チャイナ・ウイルス』と呼んで以降アジア人へのヘイトが拡散された。アジア人は『攻撃してもやり返してこない』と思われている節がある」という――。
※本稿は、及川順『非科学主義信仰』(集英社新書)の一部を再編集したものです。

アジア人に向けられたヘイトクライムが急増
アメリカでは近年ヘイトクライムの問題が深刻だ。ヘイトクライムは人種や宗教に対する偏見に基づいた犯罪のことである。黒人に対するヘイトクライムは長年問題になっているが、2020年頃からは日系人を含むアジア系住民に対するヘイトクライムが急増している。

対象はこうしたマイノリティーと呼ばれる人種に留まらない。2022年2月に始まったロシア軍によるウクライナへの軍事侵攻を受けて、今度はロシア系アメリカ人などをターゲットにした犯罪が増えた。

2020年、ミネソタ州で黒人のジョージ・フロイドさんが警察官に制圧され、窒息死する事件が起きた。これをきっかけにアメリカでは黒人の人権擁護を訴える社会運動、ブラック・ライブズ・マターが活発になり、人種的マイノリティーの人権について社会の関心が高まった。

各地で警察の対応に抗議する集会が開かれ、黒人だけでなく白人やアジア系、ヒスパニックなどさまざまな人種が声を一つにした。そしてメディアもこうした動きを連日取り上げた。テレビを見ている限りは、社会正義の実現に向けてアメリカ社会が動いているようにみえた。

トランプ前大統領の「チャイナ・ウイルス」発言
しかし、同時に、地下に滞留したマグマのように、社会への不満を鬱積(うっせき)させる人たちも増えていった。その矛先が向かったのがアジア系住民であり、導火線の役割を果たしたのがトランプ前大統領の発言だ。

トランプ大統領は、新型コロナウイルスの感染拡大前から、アメリカ経済低迷の原因は中国であると主張し、新型コロナの感染拡大が始まるやいなや、ウイルスが最初に確認されたのが中国・武漢だったことから、「チャイナ・ウイルス」という言葉を連発した。

ヒトの新興感染症の名称には、地名の使用は避けるべきという声明をWHO(世界保健機関)が2015年5月8日に出している。しかし、トランプ前大統領は、そんなルールはお構いなしに、2020年の大統領選挙での再選を実現すべく、「チャイナ・ウイルス」という言葉を連発して、中国に対する偏見をあおった。

日本人であっても「中国に帰れ」と罵声を浴びせられる
アメリカで生活しているとよくあることの一つが、韓国人や中国人に間違われることだ。アメリカでは、容姿から国籍を区別するのは難しいからだ。日本人、韓国人、そして中国人は、文化が近いこともあり、行動をともにすることも多い気がする。例えば、筆者の息子の小学校では、日本人の母親、韓国人の母親、中国人の母親は、教育熱心なこともあってか、仲のよい「ママ友」同士だ。

ヘイトクライムの加害者たちは、日本人や日系人だろうが、韓国人だろうが、中国人に見えれば、「中国に帰れ」と罵声を浴びせた。もっと悪質な例になると、背後から近づいてコンクリートの路上に押し倒したりした。筆者が取材した日本人の女性は、アメリカ人の男性と西海岸の町の中華街を歩いていたが、少しの時間、男性と離れたところを狙ったかのように突然襲われた。女性は重傷を負った。それだけでなく、精神面でのトラウマも抱えることになった。

アジア系を狙った事件は東海岸でも多い。むしろ最近ではニューヨークで発生する事件が多い。地下鉄の駅でアジア系の女性が後ろから線路に突き落とされる事件も起きた。筆者の知人の日本人男性もニューヨークの町なかを歩いていたら、突然白人の女性が近づいてきて、「中国に帰れ」と言われたと話していた。事件は新型コロナウイルスが猛威を振るっていた中、多発した。

つづき
https://president.jp/articles/-/66253