1986年に登場、安価で大容量のゲームが入手可能に

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ディスクシステムのローンチタイトルとして発表された『ゼルダの伝説』(任天堂)は、のちに世界中のファンに愛されるシリーズに成長している

 1983年に発売されたファミリーコンピュータ(以下、ファミコン)は、機能拡張用にさまざまな周辺機器が開発されました。そのなかでも最も大きな存在感を放っていたのが、1986年2月21日に発売されたディスクシステムです。

 1986年といえば、ファミコンが人気を得てから2年ほどが経過した時期に当たります。家庭でさまざまなビデオゲームを遊ぶ文化を定着させたファミコンですが、このころにはいくつかの問題が発生していました。

 まず第一に、任天堂以外のゲームメーカーであるサードパーティの増加により発売されるカセットが増え、過当競争が発生するようになりました。特にカセットは従来のおもちゃである人形などとは異なり「コンテンツ」としての性格が強く、人気のあるタイトルとそうではないタイトルの差が極端に大きいという特徴があったのです。内容に関しての事前情報も少なく、売れるか売れないかの判断が難しかったため、不人気作品の在庫が問屋やおもちゃ屋の経営を圧迫し、いわゆる「抱き合わせ販売」問題が発生する原因となりました。

 第二に、仮に人気が出たとしてもカセットの製造には時間がかかるため、タイミングを逃してしまう危険性がありました。1987年1月に『ドラゴンクエストII』が発売された際は追加の出荷が3月に行われていますが、これは早い方で、半年ほどかかることもあったのです。

 在庫を増やさず、人気のあるゲームだけを素早く提供するためにはどうすればいいのか。インターネットがある現代であればインターネット経由で配信すれば済むのですが、当時ネットはありません。そこで任天堂は書き換え型のゲーム機である「ディスクシステム」を発売する決断を下したのです。

 ディスクシステムに使われた記録媒体「ディスクカード」は、クイックディスクと呼ばれる規格で作られており、容量は両面で112キロバイト(896ビット)ありました。現代の感覚からすれば非常に小さいと思えますが、『スーパーマリオブラザーズ』が40キロバイト、初代『ドラゴンクエスト』が64キロバイトだったため、当時のカセットと比較して2~3倍の容量があったのです。

さまざまなチャレンジの土台となった

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アクションゲームとしての完成度はもちろん、すぐれた音楽も評価された、『悪魔城ドラキュラ』(コナミ)

 デパートのおもちゃ売り場や、当時増加していたファミコンショップには「ディスクライター」と呼ばれる大型の書き換え機が設置され、基本的には1回500円で好きなゲームをディスクに書き込めるようになっていました。

 任天堂は1985年11月発売の『マッハライダー』以降2年以上の間、新規のカセットを発売しないほどディスクシステム用のタイトルに力を入れており、結果として『ゼルダの伝説』や『メトロイド』、『スーパーマリオブラザーズ2』など数々の名作が生み出されました。

 ゲームを「セーブする」という概念をファミコンに持ち込んだのも、ディスクシステムです。それまでは『ドラゴンクエスト』の「ふっかつのじゅもん」のように、コマンド入力でのデータ保存が行われていましたが記録ミスも多く、多くの子供たちが無念の涙を飲んでいたのです。保存したデータを任天堂とやり取りする「ディスクファックス」機能を生かし、『ゴルフJAPANコース』では全国規模のゲーム大会も開催されました。