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浅間山の「想像を絶する大噴火」、それが江戸幕府に与えた「意外すぎる影響」 [きつねうどん★]
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2023/03/06(月) 08:41:03.71ID:5WgVBEGQ
2011年3月11日に起きた東日本大震災。

この未曾有の大災害の後の日本の状況は、非常に印象的なものでした。原子力発電所の危険性/安全性をめぐって激しい議論が巻き起こり、ときにはそうした議論がSNS上で誹謗中傷合戦に発展することもあり、「人々の政治的な衝突」を目にする頻度が増したようにも思えます。

明確な影響関係があるかどうかはわかりませんが、2012年には民主党から自民党への政権交代が起き、大震災と政権交代とセットにして記憶されている方もいらっしゃるかもしれません。

どうやら巨大な災害は、政治のうえでの変化をも巻き起こす場合があるようです。

火山大国・地震大国・災害大国である日本に暮らす人々にとっては、今後、災害が起きた際にどのような政治的な変化が引き起こされるのかについて考えておくのも、無駄なことではないかもしれません。

そんなことを考える際に手助けとなるのが、過去の災害の記録です。

スポットを当てたいのは、1783(天明3)年に起きた浅間山の大噴火。長野県と群馬県の県境にあるこの活火山は、歴史上、何度も噴火を繰り返してきた山として知られます。

とりわけここで取り上げる「天明の大噴火」は、巨大な被害を巻き起こした噴火として記録されていますが、じつは、政治的に大きな変化を巻き起こした——江戸幕府/徳川政権に大きな影響を与えた——災害としても位置付けられています。

当時の事情について詳しく解説しているのが、日本近世史の研究者である大石慎三郎の『天明の浅間山大噴火』です。

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同書をもとに経緯を見ていきましょう。

「昼間だというのに灰のために真っ暗」
ポイントは「降灰」(火山灰が降り積もること)です。天明の浅間山大噴火が始まった1783年の旧暦4月以降は、噴火にともなう降灰の被害が大きくなりました。同書はこのように書いています。

〈たとえば中山道深谷の宿で最後の大爆発の一日前の七日(編集部注:1783年旧暦の8月7日)の一時すぎに、すでにまだ昼間だというのに灰のために真っ暗になり、人々は手さぐりで、お互いに声をかけあって歩くほどであった〉(72頁)

こうした降灰は、当然のことながら作物への影響を与えます。

〈これら降灰は、ちょうど成長期にあった農作物の葉面を覆ってその育成を妨げたのはもちろんである。のみならずそれらは、数年間にわたって成層圏に滞留して日光の照射を妨げた。

「癸卯(みずのとう・天明三年)以後三ヶ年、凶歳飢饉にして奥州一ヶ国の餓死人数凡(およそ)二百万人余」(『経世秘策』)といわれる天明の大飢饉は、冷害によるものであるが、その原因を百パーセント浅間山の火山灰のせいにするのは、もちろんできないが、その間に強い因果関係があったことは、気象学者をはじめ関連学者のひとしく認めるところである〉(75~76頁)
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2023/03/06(月) 08:43:13.35ID:5WgVBEGQ
そして以下が重要な点、政治的な影響ですが、大石はこう続けます。

〈ところで三年後に起こった田沼意次の没落(天明六年)は、天明の飢饉を契機に群発する一揆、打ちこわしにその原因があったことは周知のところである。またその三年後(一七八九)に起こったフランス大革命も、その数年前から続いた冷温と狭窄による社会不安を原因としているので、それはまさに浅間山のこの大噴火と関係ありとの議論が、昭和五十四年七月にイギリスで開催された「気候と歴史に関する国際会議」で行われたということが、それに出席した鵜川馨氏(立教大学教授)によって報告されている。

春秋の筆法をもってすれば、天明三年の浅間山大噴火は、田沼意次を失脚させ、マリー・アントワネットをギロチンにかけた、ともいうことになる〉(76頁)

天明の浅間山大噴火という災害は、間接的ではあるかもしれないが、田沼意次の失脚と、フランス革命という政治的な変化の引き金になったかもしれない……。

著者の大石慎三郎は、田沼意次の研究者としても知られていますが、著書『田沼意次の時代』などでは、田沼時代から、次を受け継ぐ松平定信の時代への変化は非常に大きいものだったと書いています。

たとえば田沼の時代に活躍した文人の大田南畝を例に、「田沼政権下の社会の幅の厚みを楽しみ、それに集まった文化人の一人だった南畝にとっては、松平定信政権下の水はことのほか冷たかったにちがいない」としています。

やや乱暴に言えば、比較的寛容で明るい雰囲気のある社会・政治から、より統制的で道徳的な社会・政治へと移り変わっていったということでしょうか。その裏には——間接的ではあるかもしれませんが——天明の浅間山大噴火という巨大な災害があったと言えるかもしれません。

大災害は、社会と、そしてそれと相互に規定し合う政治のあり方を大きく変えることもあるということを、同書は実際の例をもって教えてくれます。

https://gendai.media/articles/-/107051
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