3/11(土) 11:00 デイリー新潮
https://news.yahoo.co.jp/articles/6fa316635444ea4294bc2227b9bf45891f99a236

 放送法に定められた政治的公平性をめぐる、安倍政権下の官邸と総務省のやりとりの文書に関し、与野党の攻防が続いている。放送法の政治的公平に関する問題は20年以上にわたって繰り返し浮上するが、何一つ解決していない。報道機関であるテレビ局が政府である総務省に監督される仕組み自体、そもそもおかしな話なのだ。こんな先進国はほかにない。

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 放送法に関して本当に論じられるべき問題は次の3つだ。

 第1にテレビ局が、政府である総務省に監督される仕組みを続けていていいのか。報道機関であるテレビ局は本来、政府を監視する立場なのだ。

 政府がテレビ局を監督している先進国は日本以外にない。海外先進国には政権党をはじめとする政治から独立した放送規制機関がある。米国はFCC(連邦通信委員会)、英国はOfcom(放送通信庁)、フランスはCSA(視聴覚高等評議会)、ドイツはBNetzA(連邦ネットワーク庁)である。

 これらの組織はテレビ局と番組を厳格にチェックする一方で、政治がテレビ局に介入することを許さない。だから海外先進国のテレビ各局の独立性は守られ、厳しい政権批判も行えている。

 象徴的なのは英国の公共放送であるBBCの報道。例えば1982年、時のサッチャー政権がアルゼンチンを相手にフォークランド紛争に臨もうとしていた矢先、「紛争は回避できるか」と非戦の可能性を探る番組を放送した。戦意の昂揚に努めていたサッチャー氏は激怒した。

 さらにサッチャー氏はBBCに「英軍」を「わが軍」と呼ばせたがったが、BBCは最後まで「英軍」で通した。過激な愛国主義が台頭するのを恐れたからだ。日本のNHKと民放だったら、どうするだろう。

「政府がテレビ局を監督する」という歪んだ仕組み
 放送法をめぐる与野党の議論はほかの先進国からすると、完全に周回遅れの話なのだ。野党は「総務省がテレビ局を監督する奇怪さ」を真っ先に問題視すべきなのである。新聞報道もそうだ。

 ただし、その声を上げにくい事情が新聞と民放にはある。海外先進国には独立放送規制機関がある一方で、新聞とテレビ局が同一資本で結びつくクロスオーナーシップを禁止または制限している。朝日新聞とテレビ朝日、読売新聞と日本テレビのような関係はあり得ないのだ。

 独立放送規制機関はテレビ局への政治の介入を許さぬだけでなく、ほかの報道機関がテレビ局に影響力をおよぼすことも認めない。テレビ局の独立性が損なわれるからである。独立放送規制機関が生まれたら、現状のクロスオーナーシップ制度は許されない。

 そもそもクロスオーナーシップは視聴者に不利益をもたらす。報道や言論の多様化の妨げになるからだ。事実、在京キー局5局と系列新聞は論調がほぼ一緒で、グループのマイナスになることはまず報じない。これでは報道や言論の幅が狭まる。また新聞は系列民放の不利益に繋がるNHKの業務拡大には猛反対する。

「政府がテレビ局を監督する」という歪んだ仕組みが許され続けた責任の一端は、新聞と民放にある。クロスオーナーシップに踏み込まれることを好まない新聞と民放は、独立放送規制機関の必要性を強く訴えなかった。海外先進国の実情を報じることすら少ない。

 一方で、テレビ局の監督を続けたいであろう政府が、独立放送規制機関の設立を呼び掛けるはずがない。これでは独立放送規制機関を望む世論は生まれない。その存在すら、あまり知られていない。

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