行政文書が「捏造」か「本物」か。かつての永田メール事件を彷彿とさせる大騒動になっているのが、高市早苗経済安保担当相と小西洋之議員との「対決」である。

 本来、国会で議論すべきは文書の真贋ではないはずなのだが、注目はもっぱら「どっちが事実か」「どっちが辞めるか」に集まっている。

 この状況について、結果として得をしている勢力がいるのではないか。そう分析するのは有馬哲夫・早稲田大学社会科学総合学術院教授である。有馬氏は公文書研究の第一人者として知られ、長年、放送法に関する研究に携わってきた。

 今回の騒動をどう見るか。話を聞いてみた。

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公文書の体をなしていない
――高市早苗経済安保担当相と小西洋之参議院議員との国会でのやり取りから、放送法への注目が高まっているようです。長年、放送法の研究に取り組んできた立場からの見解をお聞かせください。

有馬:放送法の問題点について解説する前に、今回の騒動の発端になっている文書について一言、言わせてください。私は長年、公文書研究を仕事の柱にしてきたので。

 総務省の行政文書であるという点までは、高市大臣も総務省も認めているわけです。問題は、高市大臣に関する4ページの真贋ということのようです。

 小西議員を支持する方は、高市さんが総務大臣だった時の文書なのだから、高市さんが捏造だと言うこと自体、おかしいという主張をしています。たしかに、当時、その部分に高市大臣が目を通して、了承をしていたのならば、その主張は通ります。

 一方で、高市大臣の知らないところで文書が作成され、保管されていれば、「捏造だ」という主張はもっともだ、ということになるでしょう。そんな文書を「部下」である官僚が作ること自体、監督不行き届きだ、といった批判は不可能ではないけれども、無理筋のように思えます。そんな責任を取る必要があるとなると、官僚が政治家を陥れることがいくらでも可能になってしまいます。

――たしかに、無茶苦茶な内容のメモを挿入しておいて、一定期間経ったところで「爆弾」として野党などに渡せば、問題化することができますね。

有馬:そうです。なぜこんな事態になっているのかといえば、公文書の作成プロセスや扱い方に問題があるからです。アメリカなどの先進国とは比べ物にならない。

 高市大臣が「捏造だ」と強く否定している「高市大臣と総理の電話会談の結果(平成27年3月9日(月)夕刻)」と題された文書を見ると、日付も作成者も不明なわけで、これは公文書としての要件を満たしているとは本来言えないものです。アメリカではこれを公文書とは認めません。

 このメモのようなものを読む限りでは、誰が誰の話をもとに書いたのかすらよくわかりません。

 私は数多くの公文書をもとに研究、執筆をしてきましたが、作成者も日付も不明な文書は少なくとも公文書として引用することはできません。「総務省の誰かが大体この頃に書いた」ではダメなのです。

 この「捏造」についての議論を発展的に生かすとすれば、公文書の作り方、保管方法を厳密にする方策を考えるのがいいのではないでしょうか。

 正当性や信憑性に疑義が生まれる時点で、公文書としてはダメだと考えたほうがいいと思います。

つづき
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/03150610/