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2023年3月3日に戦後を代表する作家・大江健三郎が亡くなり、新聞各紙や文芸誌には様々な「追悼文」が寄せらえた。だが、ひとり忘れられている人がいる。

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佐川恭一氏だ──。『シン・サークルクラッシャー麻紀』はロンドンブーツ1号2号の田村淳氏が「2022年に読んだ中でいちばんおもしろかった本」として絶賛、『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』も大森望氏から「あまりにも壮絶なくだらなさに瞠目」と評されるなど、佐川氏の作品は文学界に旋風を巻き起こしている。実はその佐川氏が、影響を受けた作家としてあげているのが大江健三郎と三島由紀夫だった。

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小説に命を救われた
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 追悼文「ある寒い季節に、私はひらパーのレトロなゲーセンみたいなところで子供を抱きながら、バスケットボール・ゲームに興じる中学生カップルをじっと見ていた」

 かくいう私自身、生活に追われて自由に使える時間がほとんどない状況になっており、腰を据えて何かの作品を見たり読んだりということがなかなかできないでいる。これは私だけでなく、学業や仕事や家事や育児や介護に追われる多くの世代の人々がそうだろう。よほど恵まれた環境にあったり圧倒的な才能を持っていたりしない限り、人生の中で自分のために時間を惜しみなく使える時期というのは限られている。

 そして時間の使い方が多様化する中で、小説を読むという行為にそれをあてる人間が減るのは当然のことである。大学に入るまでの私は、小説を読むことは時間の無駄だと考えていた。今でも小説が人間の精神を豊かにするかと問われれば一概にそうは言えないと考えているし、みながみな小説を読むべきだとも思わない。

 私は小さな頃からスポーツが苦手で、誰に何を言われてもスポーツをしようとは思わないし、それで何かが根本的に損なわれたとも思っていない。小説について同じように捉える人がいても不思議ではないし、その人を翻意させるような材料を私は持たない。

 何によって人格を陶冶するかというのは、おそらく各人の性向に合わせて自然に選ばれるもので、外圧によって決められるものではない。

 それでも私の中で小説が特権的地位に置かれ、ついには自分で書くまでに至ったのは、普通に就職したくなかったとか、身内で書いた文章のウケがよかったとかの細かい事情もあるのだが、集中的に小説を読んでいた大学時代、小説に命を救われたと感じることがあったからだ。

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