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『科挙ガチ』の佐川恭一先生に大江健三郎の「追悼文」を依頼してみたら、まさかの「胸が熱くなる文章」が届いた…! [Grrachus★]
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2023/04/22(土) 11:28:58.07ID:+YgYVOGi
4/22(土) 10:02    現代ビジネス
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd45b0774d5aa861594b28ac154b531d238623f0?page=1

2023年3月3日に戦後を代表する作家・大江健三郎が亡くなり、新聞各紙や文芸誌には様々な「追悼文」が寄せらえた。だが、ひとり忘れられている人がいる。

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佐川恭一氏だ──。『シン・サークルクラッシャー麻紀』はロンドンブーツ1号2号の田村淳氏が「2022年に読んだ中でいちばんおもしろかった本」として絶賛、『清朝時代にタイムスリップしたので科挙ガチってみた』も大森望氏から「あまりにも壮絶なくだらなさに瞠目」と評されるなど、佐川氏の作品は文学界に旋風を巻き起こしている。実はその佐川氏が、影響を受けた作家としてあげているのが大江健三郎と三島由紀夫だった。

大人気カルト作家は、大江健三郎にどんな言葉を贈るのか……? ----------

小説に命を救われた
photo by gettyimages

 追悼文「ある寒い季節に、私はひらパーのレトロなゲーセンみたいなところで子供を抱きながら、バスケットボール・ゲームに興じる中学生カップルをじっと見ていた」

 かくいう私自身、生活に追われて自由に使える時間がほとんどない状況になっており、腰を据えて何かの作品を見たり読んだりということがなかなかできないでいる。これは私だけでなく、学業や仕事や家事や育児や介護に追われる多くの世代の人々がそうだろう。よほど恵まれた環境にあったり圧倒的な才能を持っていたりしない限り、人生の中で自分のために時間を惜しみなく使える時期というのは限られている。

 そして時間の使い方が多様化する中で、小説を読むという行為にそれをあてる人間が減るのは当然のことである。大学に入るまでの私は、小説を読むことは時間の無駄だと考えていた。今でも小説が人間の精神を豊かにするかと問われれば一概にそうは言えないと考えているし、みながみな小説を読むべきだとも思わない。

 私は小さな頃からスポーツが苦手で、誰に何を言われてもスポーツをしようとは思わないし、それで何かが根本的に損なわれたとも思っていない。小説について同じように捉える人がいても不思議ではないし、その人を翻意させるような材料を私は持たない。

 何によって人格を陶冶するかというのは、おそらく各人の性向に合わせて自然に選ばれるもので、外圧によって決められるものではない。

 それでも私の中で小説が特権的地位に置かれ、ついには自分で書くまでに至ったのは、普通に就職したくなかったとか、身内で書いた文章のウケがよかったとかの細かい事情もあるのだが、集中的に小説を読んでいた大学時代、小説に命を救われたと感じることがあったからだ。

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2023/04/22(土) 11:29:25.73ID:+YgYVOGi
「殺しにきている」と感じる作品
 私は大学時代をインキャなりに楽しく過ごしていたが、それは将来に対する不安がもっとも大きくなっていた時期でもあった。恋愛に関しても就職に関しても、ありとある社会生活について、自分が人並みに振る舞えるというビジョンがまったく浮かばなかった。そういう時期に自分を救ってくれた小説を、私ははっきり挙げることができる。三島由紀夫『金閣寺』と大江健三郎『他人の足』である。これらは共通して、人間が落ち込む絶望的な状況を描いている。

 当時の私はハッピーエンドものや恋愛ものを読んだりすると激しく落ち込むというヤバい状態にあり、そういう物語からは何も受けとれなかった。読者を元気づけようとか楽しませようとか、そんな上から目線の(と当時は感じていた)態度で作品を書こうとしている作家は読者をナメていると思っていて、それが作品に透けて見えるとげんなりした。

 私は自分を「殺しにきている」と感じるような、作家の鋭い殺気を感じ取れるものを求めていた。作者の実際の意図はわからないが、上記の作品について私は自分を「殺しにきた」と感じ、その容赦ない厳しさを浴びることで心から安らぐことができた。

 大江はすぐれた文学は読者に「励まし」を与えるものだと述べており、その意識が若い頃から徹底して持たれていたものかどうか私は知らないのだが、この初期作品『他人の足』を超えるほどの「励まし」を他の大江作品から受け取ったことはないかもしれない。もちろん、それは私の年齢や状況と作品がハマったという個別具体的な事情によるものも大きいのだろうが、それも作品に強い力があってこそである。

 そういうわけで、私はある時期、読者を殺すつもりで数作の小説を書いた。そう言うと馬鹿にされたり軽蔑されたり、小説をそんな風に書くべきではないと叱られたりすることはわかっていたが、そうでなければ届かない人間の深部があると思っていた(今も思っている)。

 それらは結局、文學界新人賞の二次通過が二つ、新潮新人賞の一次通過が二つという結果に終わり、世に出てはいない。その頃に近い心境で書いた私の作品で手に取ってもらえるものは、今のところ『舞踏会』(書肆侃侃房)所収の『舞踏会』だけである。今、私は(基本的には)当時のような状態にはなく、ハッピーエンドも普通の恋愛ものも読めるし、それが人を楽しませ、励ましを与えるケースもたくさんあるという当然のことも理解できた。

次ページは:いつの日か「ノーベル文学賞」を
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2023/04/22(土) 11:29:50.68ID:+YgYVOGi
いつの日か「ノーベル文学賞」を
 結局、作家が自作をどう受け取ってもらえるかということを最終的にコントロールすることはできないので、私個人としては書くものにある程度のバリエーションを持たせようと思いながら、日々試行錯誤を重ねているところである。

 予定よりも長くなってしまったが、とにかく私が人生でもっとも、命の危機を感じるほどの不安な状況に落ち込みながら希望を探していた時、その光を見せてくれたのは三島由紀夫と大江健三郎だけだった。今の私はもう、あの頃のように『金閣寺』を読むことも『他人の足』を読むこともできないが、その救済の体験は私に小説を選び取らせる決定打として十分なものだったのである。

 2016年、私は自分自身にとって最大の作家・大江健三郎が立命館大学で講演会をすると聞き、衣笠キャンパスまで出かけて行ったことがある。結局抽選に外れて、別室で画面越しに見るということになったのだが、講演会の始まる前、彼は私たちハズレ組の方にも少しだけ顔を出してくれた。彼を生で見たのはそれが最初で最後となった。

 その後、私は自分の小説をいつか読んでもらいたいと夢見て書き続けたが、結局それはかなわなかった。これからの私にできるのは、日本人として大江健三郎以来のノーベル文学賞受賞者となり、隣に名を刻むことぐらいである。万一それが無理だったとしても、大江健三郎から受け取ったものを、私は私なりのやり方で継承していこうと思っている。

 あと一応言っておくと、タイトル(「ある寒い季節に、私はひらパーのレトロなゲーセンみたいなところで子供を抱きながら、バスケットボール・ゲームに興じる中学生カップルをじっと見ていた」)と本文には何の関係もない。

 彼の訃報を聞いた際には追悼文の依頼が殺到するのではないかと心配していたが、依頼は今のところこの一件のみである。別の角度からもう一件ぐらい書いてもいいような気がするが、いくつも書くような種類の文章でもないから、これを私の追悼のすべてとする。大江健三郎さん、あなたのすべての励ましに感謝いたします。
0005憂国の記者
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2023/04/22(土) 13:11:35.95ID:znbNarGm
>>1
現代ビジネスの書き手は
まず永井荷風を読め

全く 文章 というものが分かってない
0006Ψ
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2023/04/22(土) 13:48:06.56ID:o4RW/WDX
文で変えられるのは基準なり規範を内蔵していないと
しかもソレが万人に通用しないと
気が遠くなるw
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