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飯山陽氏(寺河内美奈撮影)

朝日新聞は5月12日付で、「タリバンと女性 権利抑圧で未来築けぬ」という社説を掲載した。タリバンが女性への抑圧を強めていることについて「到底、容認できない」と批判し、「タリバンは2年前の8月に権力を握った際には、イスラム法の範囲内で女性の人権を尊重すると約束した。ところが、この半年ほどの間に相次いで強硬な政策を打ち出した。女子の中高生には通学再開を認めず、大学教育も停止した。NGOや国連機関に女性職員が出勤することも禁じた」と述べている。ここで、「ところが」という逆接の接続詞を用いるのは間違いだ。「だから」と順接でつなげなければならない。

というのもイスラム法においては、女性は家にいて家事、育児をすべき存在だとされているからである。タリバンは、家にいて家事、育児をすることこそが「女性の人権」であり、中高等教育は百害あって一利なしと考える。また、イスラム法は、親族ではない男女の混在が騒乱をもたらし社会を破壊するとしてこれを禁じる。NGOや国連機関といった公の組織で男性に交じって女性が働くなどもってのほかだ。

タリバンは宣言通りイスラム法の範囲内で「女性の人権」を尊重すべく、女子教育や女性の出勤を禁じただけのことである。朝日新聞は2年前から現在に至るまで、タリバンの言う「女性の人権」と、近代的な女性の人権が全く異なる意味内容を持つことに気づいていない。だから「ところが」という逆接の接続詞を用い、タリバンに裏切られたかのような恨み節を書き連ねているのだ。

これは女性の人権に限ったことではなく、タリバンに限ったことでもない。ロシアの主張する「平和」とウクライナの主張する平和は異なる。中国が「内政干渉」や「主権の尊重」という時、それは自由主義国家が理解する内政干渉や主権の尊重とは違うものを意味する。こうした意味の相違は異文化や国際関係を理解する上での常識だ。朝日にはこの素養が欠けている。

朝日は当該社説で、「制裁にだけ頼り、対話の扉を閉ざしては、アフガニスタンの人々を苦境から救い出すことはできない」とタリバンとの対話の重要性を強調し、タリバンにも「穏健派」はいるので「理を説いて」変化を促す努力をしようと訴える。朝日の「理」がタリバンに通用すると思っているらしい。

どこまでいっても「話せばわかる」「みんな同じ人間じゃないか」から抜け出せない、朝日新聞の隘路(あいろ)を象徴するような社説である。



飯山陽 いいやま・あかり 昭和51年、東京都生まれ。イスラム思想研究者。上智大文学部卒、東大大学院博士課程単位取得退学。博士(文学)。麗澤大学客員教授。著書に『中東問題再考』など。

https://www.sankei.com/article/20230528-O5GFQB3BVNK5TKEZMWVLSSRBDY/