世界のあらゆるところで、清潔で安全なトイレで用を足せない状況があることは悲劇的である。だがトイレに流された糞尿は土に還ることはなく、コンクリートで埋め立てられているのだ。SGDsとは何か、循環とは何かを改めて考えたい。

トイレは「サステナブル」なのか?
SDGsが掲げる17の目標の中には、こんなものがあります。

「安全な水とトイレを世界中に」(目標の6番目)

ある意味で、これはSDGsの抱える矛盾を象徴するような目標だと私は思っているのですが、なぜそんなふうに考えるのかわかるでしょうか。

私たち日本人は、もはやトイレのないところでは暮らせません。しかし世界には清潔なトイレが完備されておらず、不衛生な生活を余儀なくされている国もあります。

なにしろ排便は毎日のことですから、これはじつに気の毒なこと。ほかと矛盾するどころか、むしろSDGsの中でも優先度の高い目標だと思う人が多いかもしれません。

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たしかに、衛生環境を整えることは、「すべての人に健康と福祉を」という3番目の目標を達成する上でも重要です。まともなトイレの普及を待ち望んでいる人たちはたくさんいるはずですから、その要望に応えるのは急務でしょう。

しかしその一方で、「トイレなんかいらないよ」と言いたい人たちもいるかもしれません。近代文明の常識が、世界中に通用するとはかぎらないでしょう。

そもそもトイレや下水処理施設などが必要になったのは、人間が増えたからです。大昔の、人が少なかった時代は、トイレなど不要でした。そのへんの空き地で用を足していればすぐに土に還ったでしょうし、畑の肥やしとして活用することもできたわけです。

いまもそうやって暮らしている人たちに近代的な最新型のトイレをプレゼントしても、どうしてそんなものが必要なのか、意味がわからないかもしれません。

しかも、そういう暮らし方はまさに「サステナブル」です。人間が食べて排泄したものが土に還って植物を育み、再び人間の食糧を生み出してくれる。自然な環境を守るというなら、これに勝る好循環はありません。

それに対して、トイレに流した排泄物はどうなるか。それを日頃から意識している人さえ、あまりいないでしょう。単に川や海に放流されていると思っている人が多いかもしれませんが、それは下水処理場でキレイにした水だけ。

その過程で生じた汚泥は、廃棄物として焼却処理や埋め立てに回されたり、建築資材として再利用されたりしています。リンや窒素など植物の養分になる成分はその汚泥のほうに含まれているので、自然界には循環しません。養分の循環を止めているのが、トイレという文明の利器なのです。

SDGsの17色を「循環」させると何色になるか
ちなみに日本には、そんなトイレ文明に背を向けて「糞土師」を名乗り、野糞術を追求する写真家がいます。茨城県出身の伊沢正名さんという方です。

彼が代表を務める糞土研究会「ノグソフィア」のウェブサイトによると、1970年、20歳頃のときに自然保護運動を始めた伊沢さんは、動植物の死骸や糞を分解して土に還し、新たな命に蘇らせる菌類の働きに興味を持ちました。

そして、屎尿処理場建設に反対する住民運動の身勝手さに憤りを感じ、一九七四年から「信念の野糞」を始めたといいます。処理場に反対するならトイレを使うべきではないだろう、というメッセージを込めていたのでしょう。それから25年後の1999年には、年間野糞率100パーセントを達成したというのですから、大変なことです。