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 いまから100年前、1923年9月1日に起きた関東大震災。この地震で神奈川や千葉だけでなく、伊豆半島東岸も津波に襲われ、早いところでは地震発生から約5分後には津波が到達しました。

 静岡県伊東市では最大9メートルの津波により死者・行方不明者が116人にのぼりました。その中で、当時の宇佐美地区(旧宇佐美村)は家屋が流されるなどの大きな被害を受けたものの、一人の犠牲者も出ませんでした。その答えは宇佐美小学校に残っている当時の子どもたちが書いた作文集にありました。

「物すごいうなり声がしたので立ち上がっていると、夢にも知らぬ大地震であった。『津波だ、津波だ』とさけぶので、ヤブから飛び出して阿原田の方へ逃げようとすると、お友達が来たので一緒になって逃げた」

「『つなみだ、つなみだ』とないてくるので、むちゅうで上の山ににげました。見ているとうちや舟をたくさんさらっていきます。私のうちはながされませんでした。私はうれしかった」

 地震発生直後、激しい揺れが襲い、多くの人が混乱するなか「津波だ」「逃げろ」と言いながら、高台へ逃げる様子が綴られています。実は宇佐美では、1703年に起きた元禄地震で多くの人が犠牲になり、津波の恐ろしさが語り継がれていたです。

「津波が起きたらすぐに逃げる」。その伝承のおかげで関東大震災が発生した際も素早い避難を行った結果、犠牲者が1人も出なかったのです。その教訓は今も受け継がれています。

 地域防災を研究し、子どもたちへの授業も行う中田剛充氏も「(宇佐美の人たちは)自分のところから近くて高いところに逃げているんです。『より高いところへより高いところへ』というのは作文集に示されている非常に貴重な教訓だと思います」と語る。

 相模トラフで地震が起きた場合、宇佐美では最大17メートルの津波が約3分で到達すると想定されています。再び宇佐美を津波が襲うかもしれない。その時に教訓を活かし、命を守る行動につなげる。

 伊東市立宇佐美小学校の木村誠教頭は「年に1回以上は津波から逃げる訓練を行っていますが、中田氏の授業を受けた後、子どもたちが自分事として捉えるようになったので、避難訓練の計測タイムが大幅に縮まりました」と変化を語った。

 授業を受けた子どもたちも「100年前の話とかとても勉強になって、これから南海トラフとか相模トラフとかそういうのもあると思うから、この話を活かしていきたい」「『絶対逃げなきゃいけないというのを心の中に』って言われて、自分のことも大切だけれどやっぱり人のことも考えたい」と感想を話した。

 木村教頭は「家に帰ってご家族と話をされたり、地域の方々にも考えてもらうきっかけとなって地域全体に影響する授業だと考えています」と語った。
(ANNニュースより)

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