在日コリアン3世の韓光勲(はん・かんふん)氏が30歳にして韓国に初留学した。大阪で生まれ育ち、新聞記者として活躍した韓氏が、“異国”での体験と発見を綴る連載の最終回。1年間の留学生活を終えた韓氏は、いま何を思うのか。(JBpress)

(韓光勲:在日コリアン3世ライター)

 2024年1月末、韓国での約1年間にわたる留学生活が終わった。今の率直な気持ちを書き残しておきたい。

 実は、当初は2月末まで韓国に滞在する予定だったが、帰国を早めた。年末年始は大阪に帰っていた。私事だが、3月に入籍する予定なので、顔合わせなどをしていた。つつがなく終わり、1月半ばにソウルに戻った。

 すると、不思議なことが起こった。強烈なホームシックに襲われたのだ。

「大阪に帰りたい。愛する彼女や家族、友達が待つ大阪に戻りたい。僕のホームグラウンドは大阪だ」

 強くそう思った。

 ソウルは孤独だ。友達はいるけど、みんな忙しそうで、しょっちゅう会えるわけではない。大阪に戻れば、家族と毎日話せる。ソウルでの一人暮らしは部屋も狭いし、誰とも話さない日もある。あまりにも孤独だ。「こんな生活は嫌だ」と思った。

 不思議なものだ。僕は自分のルーツを探しに韓国へ来たはずである。でも、ソウルでの生活は孤独だった。寂しくてたまらなかった。ソウルという場所自体が問題なのではない。誰と生活するかが重要だ。残念ながら、研究を主体にした一人暮らしをすると、孤独にならざるを得なかった。

 この問題は、仮に僕が東京で一人で生活しても発生すると思う。高度に発展した都市である東京やソウルは近所付き合いがあるわけでもない。一人暮らしだとすぐに孤独になる。ソウルで住んでいた家賃6万円の狭小住宅は、孤独感に拍車をかけた。

「大阪にとにかく早く帰りたい」──。これが韓国生活の最後に強く感じたことだった。留学生活は楽しい時期もあったが、所詮は見知らぬ土地。孤独感には勝てなかった。韓国が嫌いになったわけではない。ソウルは便利だし、住むのはけっこう気に入っている。とはいえ、やっぱり家族がいる場所に住みたい。当たり前の話だ。最後はホームシックに襲われて帰国を早めるなんて、留学前には全く予想していなかった。

深いところでアメリカナイズされている韓国の人々
 ソウルの印象についても書いておこう。「韓国は日本と似ている」と以前書いた(「日本人留学生が韓国で知る意外な事実 『外国という感じがしない』のはなぜか?」)。すでにグローバル都市となったソウルは東京と似ている。ただし、それはアメリカからの影響が強いという意味においてだ。ソウルでは、アメリカナイズされた人々の姿が印象に残った。

 日本が韓国を植民地化したのは、1910年から45年までの36年間。それよりも、1953年から現在までの米韓同盟70年のほうが2倍長い。現在のソウルで、日本の植民地時代の痕跡を見つけるのは難しい。それに比べて、アメリカの影響を見つけるのは簡単だ。そこかしこにある。

 スターバックス、マクドナルド、バーガーキングがたち並ぶ資本主義の消費空間。若者はアイフォンを持ち、エアポッドを耳にさしてK-POPを聴いている。腕にはタトゥーが見える。手にはアイスアメリカーノ。好きな映画はスーパーヒーローが活躍するマーベル映画。週末は家族でショッピングモール。かなり単純に枠に当てはめているが、これが僕がソウルで見た人々の生活様式だった。そこには「アメリカの影」が色濃かった。

つづき
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/79251