何もかもが「反日」へ
韓国では文在寅政権でいわゆる「586世代」が国の中枢に多く配置され、実権を握った。

もともと韓国では李承晩(イ・スンマン)大統領時代から国民の不満を反日へと向かわせてきた。だが、そうした反日もいつしか左派思想者によって「反日正義」と化し、政権の失策も不況も何もかもが「反日」へと向けられてきた。

文在寅政権ではその「反日」を最大限のアクセルにして、586世代の支持を取り付け、かつてないほどの反日ムーブメントで政権を維持していったことは記憶に新しい。

ところで、私は日本から韓国に移り住み、両国の「差」を肌身で感じてきた。そんな私の実感として、「韓国は日本に比べてマインドが30年遅れている」とよく話す。

「586世代」が文在寅政権を誕生させたのもそんなマインドが背景にあると思う。

そして、文在寅政権は韓国をボロボロにして終わった。日本を好きでも大声で言えなかった人たちは、いま街中に出て、日本のビールを飲み、日本のアニメを楽しみ、日本旅行にこぞって向かっている。まるで呪縛が解けたかのように。一方で、文在寅政権下の韓国をアレだけ見ておいて、いまだに左派勢力のしようとすることに同情している人の多さにも驚くばかりだ。

日本と韓国で下される「審判」
私は朝鮮学校時代に半強制的にデモに参加させられていた。そうしたデモには、政治性が含まれていないデモはひとつもなかった。

メーデーのデモでは各地域の労働組合、議員先生まで参加し、メーデーで集まっているにもかかわらず「祖国統一」「指紋押捺反対(外国人登録証)」を叫んでいた。そうした経験ばかりをしてきたから、私にとって集会、デモの政治性というのは、言うなれば「日本全国反政治音頭」というようなもので、何かと理由をつけては1年を通して反政治を訴えることだという認識になってしまった。

いまの韓国を見ていても、同じことが言える。近くで見ていると政党の方向性も何もあったものではない。何か政権を批判できそうなことがあれば、どんなことでも色んなネタに粉をかけて、事が大きくなるように仕向けるばかりだ。

そうした左派たちの「欺瞞ぶり」もバレてきて、愛想をつかす人も増えている。一方で、強固な支持者もまだいる。そのバランスもいまは崩れ始めているようだが、それも韓国での4月の総選挙でハッキリするだろう。

一方で、日本ではいま岸田政権が「裏金問題」を発端にがたがたになっている。選挙も現実味を帯びてくる中で、韓国同様に国民の“審判”が下される2024年になるのかもしれない。

https://gendai.media/articles/-/123921