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東日本大震災の救助活動を振り返る中央119救助本部の朴鍾福さん=2月20日、韓国南東部・大邱

 東日本大震災の発生直後、真っ先に日本に救助隊を派遣したのが隣国、韓国だった。当時、107人と2頭の救助犬から成る救助隊の一員として派遣された中央119救助本部の朴鍾福さん(50)は、「日本も韓国も地震から自由ではない。お互いに助け合う関係になれたら」と語る。朴さんは現在、南東部・大邱の同本部で救助隊の教育や、国内外の重大災害への対応業務を担う。

 地震発生翌日の2011年3月12日、韓国救助隊の5人の先発隊が日本に到着。朴さんら100人以上の隊員は軍用機で同14日に日本入りし、日本の警察の案内の下、宮城県で救助に当たった。韓国救助隊は18人の遺体の収容に貢献した。

 「これまで行った地震の被災地で最悪だった」。08年の中国・四川大地震や10年のハイチ大地震など、数々の現場を経験した朴さんも、津波の被災地に入るのは初めてだった。

 地震のみの被害とはまるで違う。「津波がどれだけ恐ろしいものか」。建物の残骸の木材に遺体が埋もれていたため通り過ぎてしまい、数日たって発見に至ったことも。「まさか人がいないだろう」と思いつつ見に行った5階建ての建物の屋上で遺体を発見した。

 被災地はまだ寒く、拠点としていたテントが強風で倒れてしまうなどのトラブルに見舞われた。その上、原発事故の全容が分からず、放射能に対する不安が常に付きまとった。それでも、家族や家を失った被災地の人々が、外には悲しみを見せずに立ち上がる姿に強い衝撃を受けたのを朴さんは覚えている。

 今年1月1日、再び日本を大地震が襲った。「どれだけ早く駆け付けられるかが、生存者救出を左右する」。韓国救助隊は要請があればすぐに現地に向かえるよう準備していたが、能登半島地震では日本側からの要請はなかった。

 「日本は先進国だから(外国からの救助を)呼ばない場合が多い」と朴さん。国際救助での日本との協力が緊密になることを願う。「助け合いに国境はないでしょう」。

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