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字が上手すぎて愚痴や詫び状が”国宝”として後世に残ってしまった平安貴族・藤原佐理という男 [きつねうどん★]
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0001きつねうどん ★
垢版 |
2024/04/16(火) 12:39:46.44ID:pwZzkxZk
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2024年の大河ドラマ『光る君へ』では、書の名人、字の美しさが秀でている、藤原行成(ふじわらのゆきなり:演じているのは渡辺大知さんです)が登場しますよね。

そんな藤原行成は、三跡(さんせき:書道の能書家として平安時代中期に活躍した3人)のひとりです。三跡は、藤原行成、小野道風、藤原佐理を指します。

今回の記事では、そんな三跡のうちのひとり・藤原佐理(ふじわらのすけまさ)について詳しくご紹介していきたいと思います。彼の書は国宝にもなっていますが、実は面白い事実がありました。

三跡とは?
三跡は、書道の能書家として平安時代中期に活躍した藤原行成、小野道風、藤原佐理のことを指します。三蹟と書かれることもあります。入木道の三蹟(じゅぼくどうのさんせき)と言われることもありますなお、彼らが活躍した平安時代には、三賢と呼ばれていました。彼らの書跡はそれぞれ、「権跡」「野跡」「佐跡」と呼ばれます。

藤原佐理とは?
藤原佐理は、平安時代の944年(天慶7年)、貴族の家に生まれました。彼が4歳のころに父親を亡くしたため、祖父に育てられます。961年(応和元年)、18歳のときに昇殿を許され、朝廷の書き役を任されました。彼は、少し前に活躍していた小野道風に憧れますが、小野道風は佐理が23歳のころに亡くなります。

目標がなくなってしまった佐理ですが、血筋も相まって出生も早く、23歳で左少将、35際で参議、47歳で兵部卿を兼ね、48歳で大宰府に赴任します。55歳のときに亡くなりました。

残っている書のほとんどが詫び状!?
書はすばらしいけれど宮仕えは……
藤原佐理の筆跡は、流麗で躍動感があることが特徴。書の腕前は一流で、書が宋の皇帝に献上されたり、関白太政大臣辞任の上表文の清書を務めたりしています。特に、上表文の執筆は能書家にとって重要な活動でした。

しかし、宮仕えにはあまり向いていなかったようです。お酒が好きで、いいかげんな性格だったとか。『大鏡』には、「懈怠者、少しは如泥人とも」と書かれています。現代語では、「怠けもの、愚図」といったところです。

残っている書のほとんどが詫び状!?
佐理の書はたった6点のみ残っています。しかし、そのうち5点が、なんと詫び状や愚痴なのです。自身の失敗などがわかってしまうわけですから、本来ならば残っていてほしくない内容ですが、書が美しかったがゆえに残ってしまったのです。

たとえば有名な佐理の書に、国宝の「離洛帖(りらくじょう)」があります。

これは、彼が太宰府に赴任するときに摂政・藤原道隆に挨拶するのを忘れたことを詫び、甥の藤原誠信(さねのぶ)に取りなしを頼む内容です。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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0002Ψ
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2024/04/16(火) 14:40:42.62ID:Z320xI4i
どこが美しいのかさっぱりわからんのだが
0003 警備員[Lv.15][苗]
垢版 |
2024/04/16(火) 16:51:48.19ID:sdVOhJ79
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