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「ベガルタ仙台のレジェンド」梁勇基の本音とアイデンティティー、在日コリアンとして、北朝鮮代表として [きつねうどん★]
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2024/04/17(水) 12:54:31.58ID:mp2Xbzuq
中編記事「W杯北朝鮮代表メンバー漏れも帯同…「仙台のレジェンド」梁勇基が「同じ在日Jリーガー」から受けた刺激」では「仙台のレジェンド」梁勇基のW杯を通しての成長などについて紹介してきた。続くこの後編記事では在日選手としてのあり方、そして受け止め方など引き続き紹介していく。

最も愛された在日選手
「リャーンヨーンギー、ゲットゴール、リャーンヨーンギー!」

バックスタンドいっぱいのサポーターが隣り合わせで肩を組み、歌いながら左右に動く。圧巻の光景。初めてそれを見た時、梁勇基の仙台での存在感に鳥肌が立ったものだった。

「正直自分もビックリしました。ブラジル人選手のシルビーニョがチームの象徴だったのですが、その応援が自分のチャントになった。みんなが少しは認め始めてくれたのかなとも感じましたし、期待とも受け止めました」

Jリーグに多くの外国人選手がプレーしているが、日本で育った在日コリアン選手も少なからずいた。鄭大世や安英学、李漢宰(現・FC町田ゼルビア強化部)などの北朝鮮代表を経験した選手のほか、ヴィッセル神戸でプレーした元韓国代表の朴康造(INAC神戸テクニカルディレクター)や日本に帰化して日本代表となった李忠成などがそうだが、今ではJ1で活躍する選手は少ない。

圧倒的に数の少ない在日コリアンJリーガーの中でも、梁勇基は仙台への貢献度の高さだけでなく、サポーターやファンから最も愛されたと言い切っていいだろう。おそらくこれ以上の在日選手はもう出てこないはずだ。

2009年のJ2優勝と同時に10年からJ1昇格を果たしたベガルタ仙台の原動力となり、引退後もクラブコーディネーターのポジションが用意されていたのを見ても、その偉大さはもっと“大げさ”に伝わってもいいほどだ。

現実をどう受け止めるのか
なぜ、在日コリアンで北朝鮮代表の肩書きを持つ梁勇基が、日本サッカー界で、仙台で、これだけ愛される選手になれたのか――。梁自身はこの現実をどのように受け止めているのかを知りたかった。

「最初、ベガルタ仙台に来た時、在日の自分を受け入れてくれるのかな、応援してくれるのかなという不安は正直ありました。でもそういうのもチームに入るとすぐになくなった。代表戦になると、『日本代表と試合があるけどどっち応援しようか迷う。できれば2-2とかで引き分けてくれたら』というファンもいて、なんかホッとした部分もあったんです。改めてスポーツにはそこまで影響はしないというか、そういうものなんだなと実感しました」

一方で、日本で流れる拉致問題やミサイル報道など、日本と北朝鮮との間に横たわる様々な問題から、「北朝鮮代表」の肩書きを持つ梁氏に一部とはいえ、偏見や差別的な思考を持つ者がいてもおかしくはない。

実際にそうした“嫌な声”があることも梁は知っていると言った。

「今の政治情勢だとそういう声を受けるのも仕方がないという部分もあるけれど、後ろめたさを感じることはないし、本当にそういう嫌な声を挙げる人は一部ですからね。自分は応援してもらっているということのほうが大きいし、力になる。いろんな声があるよね、くらいに受け流しています」

アイデンティティーは揺るがない
彼には一つ、聞きたかったことがあった。絶頂期の梁勇基なら日本代表にもなれたのではないか。そんなことを考えたことはあったのだろうか、と。

「それは一度もないです」と、質問をさえぎるほどに答えは早かった。

「そこの選択肢は考えたことがなかったです。やっぱり幼少期のサッカー環境ですよね。朝鮮学校で育って、日本で大会に出てもほかの強豪校に勝たないといけない、いい意味で、絶対に負けんなっていう場所でサッカーをしてきたわけです。そこで育まれたアイデンティティーはやっぱり揺るがないですよ。だからって、日本のチームが敵とか、そういうのではなくて、育った環境を考えると、自然と朝鮮代表を目指そうということでしたから」
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2024/04/17(水) 12:54:40.43ID:mp2Xbzuq
そんななか、後輩である李忠成ともそんな話をしたことがあったと明かしてくれた。

「チュンソンがサンフレッチェ広島時代の頃、一緒に飲みながらそんな話をしました。日本に帰化することについては彼もすごく悩んでいたし、でも、僕がチュンソンの責任を取れるわけでもないので、自分の選んだ道を進むべきだと背中を押しました。結果を残して日本代表になり、今でも語られるアジアカップのオーストラリアとの決勝戦でのボレーシュートのゴールは忘れませんが、『こういう道もある』というのを示した。本当に勇気のいる決断だったはずですよ」

酸いも甘いもかみ分け、Jリーグの成長と共に20年の現役生活に終止符を打った。「今はJ2でも勝ち抜くのは難しくなっているくらい、全体的に底上げされている。だからこれから日本のサッカーはもっと成長するし、W杯でもいい結果を残せるはず。そうなればJリーグの見られ方も大きく変わってくる。そのためにも自分が日本のサッカー界に貢献できることをたくさん見つけていきたい」。

将来的には指導者になっている姿を勝手に想像したりもするが、仙台の一時代を築いた立役者として、“第2の人生”の充実を願ってやまない。

https://gendai.media/articles/-/126895
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2024/04/17(水) 13:12:35.32ID:K0l9xn+r
玉蹴りが国技の北鮮
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2024/04/18(木) 04:01:41.35ID:xYchRhYN
さすがは北朝鮮シンパのヒュンダイ
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