復帰前の沖縄の人達ではどんな生活していたの? [無断転載禁止]©2ch.net
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琉球政府時代のことを何でもいいので書いてください。
食事、服や音楽などの流行、米軍との日常の関係、日本本土に対する感情など。
ちなみに俺は屋良朝苗氏の親戚です。 俺の米軍統治時代沖縄は映画ウンタマギルーのイメージ
高等弁務官・豚汁・毛遊び・カマヌンチャク 百姓のむすこです。
先祖は山で焚き火していた。
、、、ぷ >>3
カマヌンチャク?
沖縄空手は戦後ほぼ失伝したよな。。 酒乱で暴れまくる米兵を達人の方に頼んでよく取り押さえてたよ。 ■真相深入り!◆虎ノ門ニュース■
7/10(月) 青山繁晴・居島一平
https://www.youtube.com/watch?v=ycOrzZO22zI
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毎週月〜金 朝8時から生放送! LIVE放送終了後も動画で見れます♪
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※ニコ生、フレッシュでも放送中 日本人と沖縄人の民族性の違いについては、以下の著書や新聞、あるいは動画が参考になる。
ちなみに私は沖縄生まれの沖縄育ち。
日本劣化論(筑摩書房)
http://www.chikumash...oduct/9784480067876/
この本の236ページに「沖縄人と日本人はエスニシティーにおいてかなり違う」と書かれている。
「沖縄を撃つ」(集英社)
http://shinsho.shuei....co.jp/kikan/0415-b/
この本の表紙に「日本人と沖縄人」と書かれている。
沖縄タイムス2015年11月11日付
http://www.okinawati...rticle.php?id=141033
沖縄タイムスの記事にも「日本人(ヤマトンチュ)」と書かれている。
在日沖縄人
http://www.jca.apc.o...kusa10/miti10_1.html
福岡在住の沖縄出身者が実名を出して自らを「在日沖縄人」と書いている。
高橋哲也氏(東京大学大学院教授)による勉強会
https://www.youtube..../watch?v=oka6K28TJ94
沖縄の基地問題に関する著書でも有名な東京大学大学院教授の高橋哲哉氏が日本人(ヤマトンチュ)と沖縄人(ウチナーンチュ)の違いを説明している(6分あたり)。
公開討論会「フォーラム4・28 『沖縄から主権を問う』」
https://www.youtube..../watch?v=w3BrptaG2eM
作家の佐藤優氏(元外務省主任分析官)が「私の父親は日本人で、母親は沖縄人」と発言している(14分10秒あたり)。 100年前幸せといってもその時代の生活レベルには
戻せないよな色々不便すぎる 日々の買いものは逆に今が不便になった
だってコンビニつっても 灯油や葉野菜や 魚 肉 衣類 靴 ペンキとか売ってないんだもん。 当時は欲しがっても皆何もないからだろう?
ある意味幸せ 当時は内地の法律が適用されないから個人商店でなんでも売ってたって話だ。 どちらが豊かな暮らしをしてたかさえ隠す日本人
ちょんまげ民族が来るまでは遥か上をいく沖縄文化
搾取され、戦場とされ、、、
焼け野はらになった沖縄の写真や映像見て、、
沖縄人は何もない土地で
土人のような暮らしをしてたとぬかすホン土人とチョン土人 琉球は緩やかだが人口増加してきたんだぞ
本土日本のように間引き習慣するもなかった。 八重山、宮古地方では琉球王朝の過酷な人頭税に苦しむ島民が口減らしのため妊婦を集めて岩を飛び越えさせた
大半の妊婦は割れ目に落ちて死んだ
http://www.churashima.net/shima/yonaguni/l_20010508/ この前朝日で1930年代の沖縄の写真があったけど幸せそうだったぞ
あの時代から懐中電灯があるのにびっくり >>25
その写真見たけど同年代の朝鮮に比べたら相当遅れてた 耕作地が狭いんだもの貧しくてもしょうがないだろう?
むしろ豊かなら不自然 復帰前ってアメリカ軍政下の時代のことだよね 琉球国時代のことを書いてる人がいる。 沖縄の人口の増減の表ってあるかな?正確ではないかもしれないが
1500年位からが知りたい 住民は戦後、灰燼に帰した日本本土を「再起不能」と決めつけ、貧乏な日本に戻るよりも
豊かなアメリカの施政下にあるほうがいいという、米国依存ムードが強かった。
当時はドルが強い時代で1ドル=360円の固定相場制でしたから、アメリカ施政権下にいたほうが儲かりました。
実際、本島中部の歓楽街では「日本人立ち入りお断り」の立て看板を出す店もありました。
米軍人はチップを弾むが、日本人観光客はそうしなかったからです。
アメリカ統治によってもっとも進歩したのは医療、衛生環境でしょう。
戦前の沖縄の人口動態はピークで59万7902人(1937年)、県民の平均寿命は47歳。
亜熱帯の地域にあるため、マラリア、結核、ハンセン病など、東南アジアと同様の感染症が蔓延していました。
また戦前の沖縄では、罹患すると庶民はユタ(巫女)に頼り、シャーマニズム的な対処しかしなかったため、
感染症は地域社会に瞬く間に伝染していきました。
しかし戦後、アメリカ軍政府が「沖縄振興の基礎は住民啓蒙と衛生環境の整備にある」と結論し、
看護学校を設立、米国型スーパーナース(公衆衛生看護婦)の育成に着手しました。
沖縄県は150の島から形成されております。そのうち有人島は61カ所、そのすべてに公衆衛生看護婦を配置し、
住民とくに婦人層の教育にあたり、感染症防遏対策を徹底しました。
こういった米国政府の功績により感染症は撲滅され、
本土復帰する頃には人口は96万1348人、寿命は79歳と全国最長寿を達成していたのです。 >>30
表があって、公費で作られたものでも捏造ばかりだから 統治が優れてるならコザ暴動は起きんだろう?
あれは共産主義者か? アメリカ世は差別と貧乏の政治だったから復帰運動につながった 政府は1972年まで一部の国民を外国軍統治のままにしていたわけさ。 琉球は、薩摩に奄美の島々を直轄植民地の奴隷として差し出したまま国体が護持されたので見捨てた前科がある
沖縄戦で沖縄本島民がもっと死んでようにったとさえ思う 実は薩摩を作ったのは琉球人だった
そして薩摩は琉球より格下だった 琉球の統治が素晴らしくて
薩摩の統治が非道というのは根拠がない
歪んだナショナリズムだ
何度も飢饉で死にかけて援助されてるだろう? てか薩摩って琉球侵攻したものの結局は首里王府に利用されてただろ。 >>40
そう
薩摩が攻め込む前から、明国はもう大型船の支援をしてくれなくなったし、ポルトガルの進出で首里王府は破綻寸前だった
薩摩にピンハネされても明国と日本の貿易をやれるのは首里にとっておいしい話だった 元々中国との貿易自体そんな儲かってる感じがしない
貢ぎ物も大分苦労したらしいし 俺の親戚は皆復帰前、上着だけ来て下はマルバイでチェリーパイ食べながらコーク飲んでたって言ってた そもそも薩摩の圧政と琉球王府の圧政を同列で語るのがおかしい
なぜならそれは日本国民をアメリカが戦争で解放したと言ってるようなもんだから
つまり自治権と占領統治を同じモノのような議論は
強者側の植民地支配の正当化以外の何モノでもないから ○o。―y(´▽`*)スパスパ(*´▽`)y-。o○ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています