明治の頃には、藩の庇護がなくなり、困窮した神社がなんとか盛り返そうと必死だったのはよくわかります。
お椿さんなども見向きもされず閑散として、社殿も荒れるがままだったといいます。
あるとき松山駐屯の陸軍士官とお椿さんの宮司が顔を会わす機会があり、その際に神社の衰退を嘆いたそうです。
そのとき士官は、暫し自分に任せるようにと言って別れたのですが、宮司は心配で仕方がありません。
と、ある日、騎馬を連ねた軍隊の行列が、凛々しく整然と隊列を連ねて行進する姿が見られたといいます。
一団は居相町の椿神社境内へと入って行き、勝軍八幡神社へ参拝、戦勝祈願した後、隊列を乱さず帰って行きました。
この光景を目にし耳にした人々は、これは御利益のある神社に違いないと評判になり、段々と参詣する人が増えていったそうです。
今では椿祭りで賑わう様からは、なかなか想像するのも難しいほどの困窮した時代があったのですね。