古代の今治平野周辺は越智郡と呼ばれていた。
奈良時代には国府や国分寺・国分尼寺が設置され、南海道が通じるなど、伊予国における中心として栄えた。

旧越智郡『和名抄』による古代の越智郡には、10郷(朝倉・高市・桜井・新屋・拝志・給理・高橋・鴨部・日吉・立花)がある。
ほとんどの郷名が現存するが「給理」郷のみ所在が不明である。
「給理」郷の所在について諸説があり判然としないが、「こおり」の地名が役所に由来するとすれば、越智郡衙の所在地論も含めて、何処に比定するかは重大な関心事である。

伊予国府 『和名抄』に「国府在越智郡」とあり、伊予国府が今治平野にあることは確実である。
所在地については戦前から活発に議論されてきたが、未だ統一的な見解に至らない。