>>579
戦前の若松市は軍都だった
会津の開拓は他の地域に比べて冷遇されており街を復興する為でもあったが積極的に誘致活動をしてしまった

日本は日清、日露両戦争の後、軍備の増設が図られ、日本各地に連隊が結成され配備されるようになった。会津若松では積極的に連隊を誘致する運動を行い、明治40年に兵営舎完成、若松連隊区司令部(若松第65部連隊)が設置された。

この誘致活動を積極的に働きかけたのが長州や伊藤博文や三浦梧楼と共謀し大陸で閑姫暗殺などの工作をした柴四郎
(もう一人当時誘致活動を積極的にしたのが自由民権運動で庶民からの人気も篤く学校を建てたり鉄道を引いたりした若松市長佐治幸平なのがまた何とも言い難い…)
この柴四郎という男がまた今の価値観で言えばかなり黒い人物で暗殺に手を染めながら福島県議会で議員を歴任し、自作の小説で大陸植民地の重要性を説いた国粋主義者だった
そしてこの思想はかつての賊軍地域だった東北の軍人たちを中心に深く賛同される事となる