[人生案内]友人に結婚祝い なぜ? [朝一から閉店までφ★]
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2021/11/24 05:00
20代の女子学生。友人が結婚することになり、私を含む数人で結婚祝いをあげようという流れになりました。でも私は正直、結婚祝いを友人にあげる意味がわかりません。
今回結婚する友人をよく思っていないというわけではなく、ずっと仲良くしてくれた人です。ただ、結婚は勝手にするものだし、友人である私には関係がないことなのに、なぜ祝わなければならないのかよくわかりません。
今の時代、結婚や出産は全員がするものでもないし、それぞれの生き方があると思います。お祝いとは気持ちを表すものだということもわかっていますが、それは一緒に食事をするなどでもいいのではないでしょうか。他人の結婚式で感動したとか言っている人にもモヤモヤします。
私はケチで冷たい人間なのでしょうか。(京都・S子)
◇ 藤原 智美(作家)
https://www.yomiuri.co.jp/jinsei/20211123-OYT8T50023/ 道徳や冠婚葬祭の礼儀もすべて人間が決めてたんだ
みんなに合わせて非礼のないようにするのが常識人だ
法律は守らなけれなならないが
常識などを無視する者は人の社会の中で変人扱いと
つまはじき者になるだけ
この覚悟があれば息苦しい生き方とオサラバ >結婚は勝手にするものだし、友人である私には関係がないことなのに、なぜ祝わなければならないのかよくわかりません
幸せな出来事があったら祝いたくなる――そういう素朴な気持ちが持てないらしい。
次のどちらかだろ。
幸福に対する感覚が鈍感
友人への思い入れが薄い(こんな薄っぺらな関係は「友人」とは呼べない)
社会常識的には「不幸な人」だとは思うが、こいつが不幸であると思わなかろうが、このまま不幸な人生を送ろうが、こっちは知ったこっちゃない。
「じょうしきって何ですか?」とか、ガキの反論する可能性も高く、こっちはこいつのママじゃないから常識を教える必要も無く、こいつが「常識のない不幸な奴」とまわりからバカにされても、こっちは知ったこっちゃない。
それだけのこと。 礼儀正しい人間は世の中が平和な時はもっとも
信頼されるが
世が乱れると平和な時の礼儀が通用しなくなる
ケースバイケースで考える者が力を発揮する
これは歴史で証明されたされたことで
歴史のタラレバに偉人の歴史的環境が違えば
まったくのダメな者 100人100様でそれぞれ考えが違っていて当然
一律に決めたことに押し込むような古い考えは
いずれ廃れていく
自由と人権があるのだからそれぞれの意見も尊重
されるが自由と人権だ
憲法や人権ガバナンスではもっとらしく言うが
実態は自分勝手を1ミリも許さない息苦しい
村社会 10万円お祝い出して
5000円のバスタオルしか返ってこなかった
今時こんな感じなの 村社会的意識は廃れていくんだ
昔は自給自足の暮らしで用水路の整備や屋根のふき替え
などは村人全員でやっていたために
村社会から外れるは生きていけないの境遇だった
今はそれぞれが勤め先で稼いだ金で暮らしている
困りことは村の者より事業会社に任せる為に
村人と常に一枚岩の暮らしはしなくていい
この自由を得たら過去の冠婚葬祭もうっとおしくなる その気持ちを貫き通してください、周りの人があの人はああいう人だからと
理解をして下さるまで。 周りの人間が頼りにならないんだ
ネットの時代はググればもっとも最適な
案が出てくるんだ
お金がすべてお金させ出せば何でも解決
できるんだ
友人の顔の広い者ほど金を貸して返して
くれん
これを大事にするか 人間との付き合いも二面性がある
相手が楽しいと頼りになると
対して楽しくないと頼りにならないと
結婚と離婚がこれを現している
絶対的なものがないのだから
人の生き様も絶対はない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています