名裁きで知られる大岡越前と遠山金四郎は「痔」で悩んでいた [きつねうどん★]
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2021/11/10(水) 06:22:33.94ID:CAP_USER
大岡越前といえば、江戸南町奉行所の奉行として有名です。同様に、遠山金四郎は江戸北町奉行所の奉行として知られた人物です。ともに名奉行として知られていますが、この2人には意外な共通点があります。それは、どちらも痔で悩んでいたということです。

大岡越前と名裁き
大岡越前は、テレビの時代劇でも有名ですが、いわゆる「大岡裁き」として伝わっているエピソードには、創作が数多く混じっています。有名な大岡裁きの1つに、「子争い」というのがあります。子争いとは、1人の子供をめぐって、2人の母親が自分こそ本当の母親だと言い張り、大岡越前に決着を求めたものです。

「2人でその子の腕を両方から引っ張って、勝ったほうを母親と認める」大岡はこのように言い渡します。それを聞いた2人の女は、両側から子供の腕を引っ張り合いました。当然ながら、引っ張られた子供は、「痛い」と言って泣き叫びます。すると、その声を聞いて、片方の女が手を離しました。手を離せば、その時点で負けが決まります。

勝った女が子供を連れて帰ろうとすると、大岡はこれを制して、「本当の親なら、子供が痛いと泣き叫んだら手を放すものだ」と言って、引っ張り合いに負けた女を母親と認めました。このエピソードには、大岡裁きの前に疑問点があります。

そもそも、なぜ2人の女が母親と名乗りを上げたのか。どっちが本当の母親なのか、初めからわかっているはずですから、もともと奉行に沙汰してもらうまでもないのです。実は、これに似た逸話は世界各地にあり、旧約聖書にも同じ話が出てきます。つまり、この有名な「大岡裁き」も、世界の逸話をヒントにして、後世に作られた創作なのです。では、本当の大岡越前とは、どのような人物だったのでしょうか。

大岡越前の実像
大岡越前は、今でいうエリート官僚の道を歩んだ人でした。8代将軍徳川吉宗が行った、享保の改革を陰で支え、江戸町奉行、寺社奉行の要職を歴任する一方で、文化人としても知られています。大岡は、当時江戸で頻発していた、火災を防ぐために町火消しを編成し、小石川療養所を開設して病人を入院させ、薬を与えて治療しました。また、評定所の門前に目安箱を設置して、庶民の不満や怒りを、投稿させる仕組みを作ったのも大岡です。

このほかにも、物価を安定させたり経済流通のために通貨を安定させ、ゴミ収集を組織化し、賭場を一掃するなど、江戸を庶民が安心して住める町にしました。このように、大岡が庶民や弱者に寄り添う名奉行だったことから、前述の「子争い」のような、エピソードが作られたのかもしれません。
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2021/11/10(水) 06:22:41.67ID:CAP_USER
痔で悩んでいた
大岡自身が書いた「大岡越前守忠相日記」によると、大岡はひどい痔を患っていたようです。大岡越前守忠相日記には、「痔血走り、今日まかり出ず在宅」と記載されたページがあります。大岡は痔の激痛のために、その日徳川家の近親を連れて、墓参りに行く予定だったのを、キャンセルしたということが書かれているのです。

おそらく大岡は、もともと患っていた内痔核の症状が悪化して出血し、血栓が詰まったために激痛に見舞われたのでしょう。激痛があたことから、第U度から第V度程度の、内痔核があったものと推察されますが、大岡の痔の悩みがどのくらいの間続いたのかは、定かではありません。もし長期間にわたって痔の激痛に苦しんでいたとすれば、大岡の名裁きにも、ある程度の影響があったのかもしれません。

遠山金四郎の痔の悩み
遠山金四郎といえば、背中の桜吹雪を思い出す人も多いでしょう。もちろん、あの刺青はテレビの演出で、遠山金四郎が本当に、桜吹雪の刺青をしていたわけではありません。

大岡越前と同様に、遠山金四郎も痔で悩んでいたことがわかっています。しかも遠山の痔はかなり重症で、激痛のために馬に乗ることもできなかったということです。馬に乗れないと、江戸城に登城することができません。そのため、遠山は駕籠で登城することを、幕府に願い出ていました。遠山は、駕籠で登城できるほどの身分ではなかったため、許可申請が必要だったのですが、彼の痔はそれほど重症だったのです。

遠山金四郎の実像
遠山金四郎の名前が、世に知られるようになったのは、明治26年に中根香亭(きょうてい)という人物が、雑誌で紹介したのがきっかけでした。その雑誌には、遠山の肩から腕にかけて、刺青があったと書かれていたため、のちに脚色されて桜吹雪の刺青になったのでしょう。しかし、腕に刺青をしていたのは、遠山の同僚だった、根岸肥前守という人物だったのです。

つまり、遠山の刺青のエピソードは、根岸肥前守のことが混じって、生まれたようなのです。遠山は、老中の水野忠邦が推し進めた、「天保の改革」に批判的でした。天保の改革では、庶民の楽しみが徹底的に規制されましたが、遠山は庶民の楽しみを奪うような裁きはしませんでした。

しかし、これは裏を返せば、「何もしなかった」とも受け取れます。遠山は、庶民のために何かをしたわけではなく、ただ黙って目をつぶっていただけなのです。何かを断行すれば反対派も出てきますが、遠山は特に何もしなかったので、ずっと要職の地位に留まることができたという見方もあるのです。

大岡越前は、数々の改革を断行したので、敵も多かったことでしょう。それに比べると、遠山は敵を作ることもなく、エリート官僚としての人生を全うしました。テレビ時代劇の中の「金さん」は、悪を許さない正義の味方として描かれていますが、実際の遠山金四郎とは少し違っているようです。

https://gentosha-go.com/articles/-/38500
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2021/11/10(水) 06:35:45.20ID:knfQSm6N
不当裁き!とか言ってた連中もいただろうなぁ
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