“金曜にカレーを食べる”はウソだった…太平洋戦争中に兵士が食べていた「艦隊グルメ」 [きつねうどん★]
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戦時下を生き抜く“海の男たち”の腹を満たしてきた「海軍グルメ」。カレーを筆頭にいまや一般人でも馴染みあるものとなったが、実際のところ、当時はどのような食事が振る舞われていたのだろうか。
太平洋戦争期の駆逐艦を舞台に、兵士たちのハラを支え続けた“主計兵”のドラマを描いた漫画『 艦隊のシェフ』。その監修を務めた藤田昌雄さんに詳しい話を聞いた。
主計兵とは“艦”の下の力持ち
─『艦隊のシェフ』の主人公は主計兵と呼ばれる兵士たちです。彼らが所属する主計科ってそもそも何をする部署なんですか?
藤田:今の企業で例えれば、バックヤード部門、総務経理のようなイメージを持っていただければわかりやすいと思います。まさに「艦の下の力持ち」という存在。あまり目立たないけれど、絶対に必要な部署ですよね。艦に関係する食糧その他の補給全般を司る部門でもあり、艦の種類を問わず、あらゆる艦に置かれていた部署です。
─その中で烹炊所の果たす役割は?
藤田:烹炊所と聞くと耳馴染みのない言葉ですが、平たく言えば、艦の台所です。海原(作中で飯を作り続ける一等主計兵・海原衛)たちは主計科に所属していますが、全ての主計兵が烹炊任務についているわけではありません。
主計科には、大きく分けて衣糧と経理という2つの部門があります。衣糧とは、衣服と食料に関わる業務を担っており、海原たちはこちらの担当ですね。一方、経理の方は、給与計算などが主な仕事です。いわゆる事務員扱いなので、戦闘部隊から見ると、下に見られてしまうことも多かったみたいです。
─主計兵の生活はどんな感じだったのですか?
藤田:一般的に主計科の労働環境は厳しかったようです。例えば、飯を炊くためには、通常の兵員より毎朝2時間も早く起きる必要がありました。なんといっても料理は下準備が大事ですから。これはきつかったでしょうね。
反対に食料に関しては恵まれた環境なので、こっそり砂糖などを手に入れて、賄賂として他の兵と物物交換をする者もいたようで、厳しい反面、役得な部分もあったようです。
また、食事というと一日3食をイメージされると思いますが、海軍では朝昼晩とは別に小夜食(こやしょく)と呼ばれる軽食を作ることも多かったようです。その名の通り夜間勤務や演習がある際に、握り飯や汁粉が提供されていました。
─駆逐艦という艦とは?
藤田:そもそも駆逐艦とは、魚雷を詰んだ水雷艇を排除する目的で作られた船です。戦艦など、大きく小回りの利きにくい船にとっては、水雷艇のような小さい艦が放つ一発の魚雷でさえ、艦の命運を左右する大きな危険因子です。そのため水雷艇を「駆逐」するための船として、駆逐艦が艦隊に配属されました。
─駆逐艦乗りの特徴とは?
藤田:日本の場合、ヨーロッパの駆逐艦とは異なり、艦隊の護衛任務より潜水艦や水雷艇への攻撃の方がメインの任務でした。これらの目的に艦は特型駆逐艦と呼ばれ、主に艦隊決戦用に建造されています。軽巡洋艦にも匹敵する攻撃力を持っていたので、攻撃的な任務に誇りを持っていたようです。そのため、乗員も護衛任務を与えられると、なんで俺たちがこんなことをしないといけないのかと不満に思うことも多かったようです。
─主人公たちが乗る駆逐艦・幸風は実在の艦ではなく、「雪風」という艦を参考にしています。
藤田:「雪風」とは陽炎(かげろう)型駆逐艦の8番艦で、乗員は240名ほど。数多くある駆逐艦の中で最も有名な艦の一つです。その理由は、ミッドウェー海戦やレイテ沖海戦、さらには大和特攻作戦など、日本海軍の主な主要海戦全てに参加しているにもかかわらず、大破することなく生き残ったためです。大型艦の砲撃や魚雷が一発当たるだけでも沈没してしまうのが駆逐艦。数多くの激戦地に赴いていたにも関わらず沈まなかったため、「雪風」は「奇跡の駆逐艦」と呼ばれています。 ─なぜ生き残れたのでしょうか?
藤田:正直、運がよかったとしか言えないと思いますが、艦長の操艦技術も高かったのでしょう。実際、大和の特攻作戦に参加した際は、艦橋の天窓を開けて、艦長自ら首を出して降下してくる敵機の動きを読み、舵を指示したという逸話を聞いたことがあります。
─実際、兵士たちはどういうものを食べていたのでしょうか。
藤田:下士官が食べる食事のことを“兵食”と言います。兵食は米と麦を混ぜた米麦飯(べいばくはん)とおかずと汁物、漬物です。作中でも描かれていましたが、麦飯を食べるのは脚気(かっけ)予防のためですね。米麦飯は現代に比べるとかなり量が多く、一食あたり1人2合、1日で6合も食べていたそうです。
─献立も主計兵が考えていたのですか?
藤田:軍医と主計科の士官、それに古参兵が協議して、1週間の献立を決めていたようですね。レシピは相当数あったようで、和洋中バリエーション豊富に食べられていました。
また、海軍に入って初めて肉を食べたという人もいたようで、カツレツはかなり人気だったようですね。コロッケも定番です。肉の代わりに缶詰の鮭を使ったコロッケもありました。
─お酒などの嗜好品についてはどうだったんですか?
藤田:戦前の日本海軍では、お酒を飲めたみたいです。手本としたイギリス海軍の伝統に則って、士官以外の兵員にも寝酒が支給されることもありました。衛生酒と呼ばれていますが、実際配給されていたのは日本酒や焼酎でした。
しかし戦後、自衛隊が発足した際には、アメリカ海軍の伝統を引き継いだために、艦内の飲酒は原則禁止になってしまいました。米海軍兵からは冗談で、悪習を引き継いだなと言われることもあるとかないとか(笑)。
─作中にも登場しましたが、海軍といえばカレーが有名ですよね。
藤田:これはよく勘違いされているのですが、海軍と言えば「肉じゃが」と「海軍カレー」というイメージは戦後に作られたものなんです。カレー自体はレシピに載っていますが、金曜日に食べる習慣ではなかったようです。昔、旧海軍の方にお伺いしたんですが、笑いながら「海軍にもカレンダーあるんだから、カレーなんか食べなくても曜日わかるよ」って軽く怒られましたね(笑)。
当時のカレーの食べ方を再現。意外に食べやすい?
─毎週金曜日に食べていたわけではないんですね!
藤田:そうなんです。また、兵食に出ていたカレーは、現代のようにカレーとご飯を一緒に盛り付けていたわけではなく、汁茶碗にカレーのルー、ご飯は別の椀に盛っていたようです。お箸でご飯を掴んで、ルーに浸して食べたみたいです。
ちなみにこのカレーを食べるとき、ごはんの盛られたお椀にルーをかけて食べてしまうと、洗い物が大変になってしまうため、めちゃくちゃ怒られたらしいですよ。
船が沈まなければ、飯は食える
─戦争というと食糧難というイメージでしたが、色々な料理を食べられたというのは意外です。
藤田:食糧難のイメージも決して間違いではないんです。実際に陸軍の最前線では、補給が途絶えた状況はかなり悲惨だったと聞きますし。ただ、海軍の場合は、出港する際に航海中の食料を積んでしまうので、艦が沈没しない限りはご飯が食べられないということはありませんでした。 ─船の上で釣りをしたりすることも?
藤田:原則、魚を生で食べることは禁止されていたんですが、実際は結構釣りなどやっていたみたいですね。実は今日、参考資料になるかもと持ってきたんですが…。
これは、『毒魚毒草図鑑』というもので、海軍すべての艦に配布されていたようです。しかも当時としては珍しいフルカラーイラスト付きなんです。
海軍としてはこれを見て、「食べて大丈夫な魚かどうかは各自判断しろ!」ということなんでしょうね。
─海軍の戦争時の食事事情には意外と知られていない事実が多いですね。
藤田:どうしても、戦時中の食事というと戦争映画や小説で描かれる悲惨なイメージが強いと思います。実際、間違っているわけではないのですが、一方で「艦隊のシェフ」で描かれているような事実もあるわけです。「戦争していることが日常であること」の兵士たちの日々の生活や食事などを通じて、彼らの人生の一端を感じてもらえるといいかと思います。
藤田昌雄(ふじた・まさお)
1972年、東京都に生まれる。日本陸軍を中心に兵站、軍事史を研究する。軍事史学会会員、軍事法規研究会顧問。『陸軍と厠 知られざる軍隊の衛生史』(潮書房光人社刊)『写真で見る海軍糧食史』(光人社刊)など著書多数。
撮影/井上孝明 料理/藤川よつ葉
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91531 創価学会は国民には増税を課し、公共事業の中抜きなど、税金でボロ儲けしているが、自身は脱税で有名なパナマ文書にも名前が載っている。
国民に税金を払わせ、自分は払わない🤤
オリンピックや助成金事務手数料中抜きのパソナも天理の談合太陽光も不正融資太陽光もアベノマスクも全て創価学会🤗
https://i.imgur.com/LcWoSzG.jpg
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https://i.imgur.com/bmlJEJY.jpg 月月火水木金金とか歌ってるんだからカレンダー無いと思われても仕方ねーだろw 風見鳥と呼ばれた中曾根康弘は海軍の主計少佐だったっけ
俺の母親のいとこは双子で 陸軍主計大佐まで上り詰めたとか(笑) 単に余り物炒めてカレー粉で煮るからだろ
艦上では材料捨てるとかあり得んからだろ
補給がいつ来るかわからんし陸地みたいに現地調達ができるわけ無いし カレーに味噌汁付ける家庭は下品で貧しい家庭だってばあちゃんが言ってたのは本当だったんだな! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています