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坂元さんと自信作のポンチキ各種。店の中には甘い香りが漂う。そこそこのサイズだが、軽いので一つ、また一つと手が伸びる=東京都調布市のポンチキヤで5月、倉岡一樹撮影

 東京都調布市の住宅街の一角で売られているポーランドの菓子「ポンチキ」がひそかな人気だ。そもそも同国の食べ物を提供する店は日本にほとんどない。店名は「ポンチキヤ」とそのままだ。ユニークな名の、知る人ぞ知る“謎の外国菓子”を求めて店を訪れた。【倉岡一樹】

“一食いぼれ”したお味とは

 店は、都心から電車で20分ほどの京王線柴崎駅にほど近い。小さなドアを開くと、ガラスケースに穴のない丸っこいドーナツがずらりと並んでいる。キッチンから、店を1人で切り盛りする坂元萌衣子(めいこ)さんが顔をのぞかせた。

 「ポンチキはポーランドのドーナツ。国民食といってもいいくらい愛されています。例えると日本のコンビニのおにぎりのようなものかも」

 ふわっとした生地の中にジャムやクリームが入っていて、本国ではスーパーなど街のどこでも売られているという。この菓子名はポーランド語でつぼみを意味する「ポンク」の派生語だ。

 同国にはイースター(キリスト教の復活祭)前の「断食期間」に入る直前の木曜日、栄養があっておいしいものを食べためる習慣「脂の木曜日」がある。ポンチキはその定番だそうだ。

 日本のドーナツとどう違うのか――。

 坂元さんは「生地にバターと卵黄を多く使うので、風味が豊かで食感もブリオッシュ(フランスの菓子パン)に近いかもしれない」と話す。

 近隣の東京・八王子出身の坂元さんは、幼いころからピアノに熱中し、「とりわけ弾きやすかった」と親しみを覚えたショパンの祖国への関心を深めた。その後も知るほどに魅力に感じ、進学した東京外国語大(東京都府中市)でもポーランド語を専攻。同国へ旅行や留学を繰り返してきた。

 ポンチキとの出合いは、初めて同国を訪れた大学1年の時だ。

 「首都ワルシャワの有名菓子店で食べたポンチキに“一食いぼれ”した。生地は揚げたてでするっとのどを通るように軟らか。フルーツミックスのジャムやキャラメルクリームもとろりと濃厚で……。食べ歩いて、自分でもよく作った」

 坂元さんには飲食店を開く夢があった。

 資金を集めるため外大を卒業後に一度は貿易会社へ就職し、その傍ら調理を学んだ。2年で会社を辞め、料理学校に通いながらポーランド料理店やベーカリーに勤めるなどして腕を磨いた。そして、2014年にキッチンカーやケータリングでポーランド料理の弁当やポンチキを売り始めた。

キッチンカーで試行錯誤 4年後に念願の店

 生地もジャムも全て手作りなので、苦労は尽きなかった。温度や湿度、時間で刻々と変わる生地の発酵度合いの見極めや揚げ方、中に入れるジャムやクリームの味の調整――。納得いくものができずに焦り、客の「おいしくない」との反応に落ちこんだ。

 特に腐心したのが本国の味を生かしつつ、いかに日本人が好む味に「変換」するかという点だ。

 「ポーランドの味に寄せすぎると日本人が敬遠する。日本人好みの味にすると現地の味を知る人から『これはポンチキではない』と言われる。落としどころがなかなか見つからず苦しかった」

 諦めずに数年、改良を重ねたという。「納得できるレベル」と自信も持てたころ、イベントで1日1000個ほど売り上げるなど評判を呼んだ。18年6月、サッカー・ワールドカップ(W杯)の日本対ポーランド戦に合わせて念願の店を開いた。

 “折衷の味”を作るのにはコツがあるという。

 「ポーランド人だったら日本人向けポンチキをどう作るのか、をイメージして作る」

 実はコロナ禍前は週末を中心にポーランド料理も提供していた。あえてポンチキを店名にしたのは「ポンチキを好きなことと、知り合いの『絶対にポンチキを売りにした方がいい』との熱心なすすめが大きかった」と話す。