岸田文雄首相は、参院選の街頭演説中に銃撃され死亡した安倍晋三元首相を追悼する「国葬」を今秋行うと発表した。戦後では、1967年の吉田茂元首相以来2例目となる。政治的功績、国内外の哀悼の動きからしても妥当な判断である。

外国首脳から高い評価

岸田首相は「わが国は暴力に屈せず、民主主義を断固守り抜くという決意を示す」と強調。「活力にあふれた日本を受け継ぎ、未来を切り開いていくという気持ちを世界に示したい」とも語った。

国葬実施の理由については、憲政史上最長の8年8カ月にわたり重責を務めたこと、東日本大震災からの復興と経済再生、外国首脳からの極めて高い評価、民主主義の根幹たる選挙運動中に突然の蛮行で逝去したことなどが挙げられた。

国葬は国の儀式として国費で行う葬儀だ。戦後の首相経験者では、吉田氏のみ。沖縄の本土復帰を果たした佐藤栄作氏は、内閣と自民党、国民有志が共同で出資する「国民葬」の形式だった。安倍氏の祖父で日米安保改定を成し遂げた岸信介氏や、大平正芳氏、中曽根康弘氏ら大きな業績を残した人々でも、内閣と自民党が実施し、経費の一部を国費から支出する「合同葬」だった。

戦後唯一、国葬となった吉田氏は、新憲法下、安全保障の確保について多くを米国に依存し、日本は経済成長を最優先させる「吉田路線」によって、経済大国日本の基礎を築いた。

その後、時代状況にそぐわなくなった吉田路線ではあるが、歴代の自民党内閣では基本的に踏襲され、大きく修正されることはなかった。安倍氏が首相に就任し掲げた「戦後レジームからの脱却」は、この路線からの脱却であった。

安倍氏は安全保障に自国で責任を持つ方向に大きく舵(かじ)を切った。日米安保を基軸にし、それを強化しつつ、安保法制を整備した。また果たされはしなかったが、戦後レジームの象徴である憲法の任期中の改正を表明し、退任後も力を注いだ。

時代の変化と要請を的確に捉え、それに応える大方針を示した。時代を画す宰相であったという点で、安倍氏の葬儀が吉田氏以来の国葬となるのは、偶然ではないし、極めて妥当だ。

安倍氏が凶弾に倒れた奈良市の近鉄大和西大寺駅前には、事件から1週間を経ても献花の列が絶えない。また外務省によると、安倍氏に対し、260カ国・地域・機関から1700件以上の弔意が寄せられた。

戦後日本で、これだけ世界から惜しまれた政治家がいただろうか。それを通し、安倍氏の存在の大きさに気付いた日本人も少なくないだろう。国葬は多くの国民の気持ちを表現したものとなろう。

要人警護に万全を期せ

国葬となれば、海外から多数の要人が参加する。弔問外交の重要な舞台ともなる。安倍外交の成果をさらに深め発展させる機会ともなる。今回の事件で警護の不備が明らかとなったが、その点が最も心配されるところだ。問題点を早急に洗い出し、要人警護、セキュリティーに万全を期して臨みたい。