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栽培風景

 味噌汁にお蕎麦、和え物にもあうナメコ。価格も手ごろで食卓に欠かせない。市販品のルーツをたどると、福島の山に自生していた一つの株に行き当たった。30年かけて源流を探した男の物語。

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 全国で毎年約2万2千トンも生産されるナメコ。あまりに普通に食卓に並ぶので、その“ルーツ”がどこかと思いを馳せる人は少ないだろう。

 しかし30年以上にわたり、起源探しに執念を燃やし続けた研究者がいる。福島県林業研究センター元副所長の熊田淳さんだ。福島大学の准教授らと行った研究が、日本菌学会の英文誌に掲載された。

 それによると、今から60年前、ナメコは福島県の山から降臨して全国に広まっていったのだ!

 現在市販されているナメコの99.7%は、工場などで菌床栽培されたものだ。その源流をたどると、すべてが60年前に福島県山都町(現喜多方市)で採取された野生株から派生した可能性が極めて高いという。

 熊田さんが語る。

「市販ナメコの起源が福島にあるという話は、私が研究センターに入りキノコを担当し始めた平成元(1989)年から聞かされていたんです。60年前に実際に野生株を採取し、株を選抜して全国に広めた大先輩から、直接聞きました。採取した場所に連れていってもらったこともあります」

 この大先輩とは、『ナメコのつくり方』などの著書もある庄司当氏。場所は飯豊山の登山道から外れたブナ原生林で、標高は1千メートルほど。庄司氏は発見当時のことをこう説明したという。

「数十メートル先にある枯れたブナの根元から上部まで真っ赤に見えた。藪の中を進んで枯れ木に近づくと、赤く見えたのは全てナメコ。ブナの根元から手の届かない数メートル上部まで、びっしりと覆われていた。あんな光景を見たのは生涯で一度きりだ」

 このとき庄司氏が採取した菌株が全国に広まったに違いないのだが……。熊田さんが続ける。

「しかし証拠がありません。なんとか証明したくて、入所2年目から全国の菌株を集め始めました。でも遺伝子解析はまだ一般的なものではないこともあって、思うような成果が出ませんでした」

 だが調べるほどに、F27と呼ばれるこの菌株の活躍を知ることになる。

「当時は原木栽培に加え、空調栽培のはしりといってよい時期。ナメコは10月中旬から11月に採れますが、一部の生産者は小さな部屋でクーラーをかけて、9月に発生させていました」(熊田さん)

 生産コストがかかるので、9月のナメコは高い値段で販売されていた。また原木栽培は生産量と時期が限られていた。かつてナメコは高級品だったのである。それに対してF27はというと、

「自然状態でも9月に出るんです。それだけでなく、空調がある施設で1年中栽培できます。短期間で成長するので、施設の回転率もいい」(同)

 効率のよいF27を施設で生産する動きが、全国に広まっていった。

 林野庁の統計によると、ナメコの国内生産量は1960年代に2千トン台で推移していた。庄司氏がF27を採取したのは62年。ナメコの生産量は67年に3698トンと大幅に伸び、あとは右肩上がり。73年に1万トン台に、86年に2万トン台に突入した。

 おかげでナメコの“価格破壊”が実現。庶民が気軽に味わえるようになったのは、ひとえにF27普及のおかげ……という説を立証したくて30年が過ぎてしまった。

 前置きが長くなったが、ここからがルーツ発見に至るストーリー。

 熊田さんは東日本大震災以降、放射能の影響などの研究に奔走し、ルーツ証明のための時間はなかなか取れなかった。