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グレタさんの物語は美しいが(10月、自著の発表会)HENRY NICHOLLSーREUTERS

<環境活動家・グレタ氏への注目度が下がったのは、われわれ市民やメディアが彼女を「新世代の旗手」として都合の良く使っていたことの証だ>

11 月上旬からエジプトで開かれていた国連気候変動枠組み条約第27回締約国会議(COP27)が、先日閉幕した。気候変動で生じた被害を支援するため、途上国を対象にした新しい基金を創設すると決まったことが大きく報じられた。各国が協調して、国連の枠組みで被害への資金支援に取り組むのは初めてというのがニュースのポイントだ。

気候変動問題といえば、日本でもおなじみのスウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリ氏は「見せかけの温暖化対策」であると会議を批判し、参加を見送った。今やおなじみとなった彼女の「グリーンウォッシュ」論である。

トゥーンベリ氏が日本において最も注目を集めたのは、2019~20年にかけてのことだった。彼女は18年夏から地球温暖化の危機を訴え、たった一人で授業をボイコットする「学校ストライキ」に打って出た。学校に通うよりも地球の未来のほうが大切であるという主張は、確かに分かりやすい。

運動はやがて細々とではあったが日本にも広がり、新世代の旗手として彼女の言動は大いにスポットライトを浴びた。さらに共感を呼んだのは、スピーチのスタイルにもあった。彼女は「あなたたち」旧世代と、「私たち」新しい世代を分けて、温暖化を進めた旧世代は新世代の未来を奪っていると苛烈な口調で訴えた。

「あなたたち」と「私たち」を二分し、一方を敵とする手法にポピュリストの手口とも通底する危うさがあることは目に見えていた。だが、そんな懸念よりもメディア上で広がったのは「若い世代が訴えた」「日本の若者もグレタさんに続け」という「物語」だった。日本でも彼女の声に呼応した若者たちが出てきたことで、注目はさらに高まっていった。

彼女のようなスターの存在と、分かりやすい敵/味方の二項対立はSNSでは受け入れられやすい。若者たちが声を上げるという構図も日本のメディアでは好まれやすい。だが、持ち上げるだけ持ち上げて、都合が悪い主張をすると途端に無視する無責任な姿勢は肯定できない。

美しい「革命」より政治の知恵
本誌および本誌ウェブ版でロンドンから発信を続けているジャーナリスト・木村正人氏のリポート、そして紹介されているスピーチ動画を見ると、最近の彼女の主張は明らかに「反資本主義」のそれになってきたことが分かる。

原発に対しても、条件付きで稼働に賛成する立場を明らかにしたことも報じられているが、かつてほどメディアが視線を注ぐことはない。メディアも市民も自分たちの主張に都合がよければ味方と見なし、都合が悪ければ無視する傾向はどこの国でも似通っている。

当たり前の話だが、彼女は一人の運動家であり、世界の救世主ではない。一人によって解決することができるような単純な社会問題もまた存在しない。

若者による「革命」の物語は美しいが、それはほとんどと言っていいほど不可能な道だ。少しずつであっても、前に進む合意を取り付けることこそが政治の知恵である。その意味では、COP27の成果は決して小さいものではないように思える。

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