2/11(土) 6:12    文春オンライン
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「あなたのパスポートを燃やす」難病に侵された31歳の女性が安楽死のためにスイスへ…両親を説得する“最後の大仕事” から続く


 6歳の時にCIDP(慢性炎症性脱髄性多発神経炎)という難病を発症し、31歳になる現在まで苦しみ続けてきた「くらんけ」さん。2021年9月には、安楽死をするためにスイスに足を運び、死の“直前”までたどり着いた。

 ここでは、くらんけさんが安楽死を試みるまでの過程を綴った『 私の夢はスイスで安楽死 難病に侵された私が死に救いを求めた三十年 』(彩図社)より一部を抜粋。ついに決行を翌日に控え、最終決断のための「クールダウン期間」を父親と過ごす彼女は何を感じていたのか――。(全2回の2回目/ 前編を読む )

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最後の晩餐
 クールダウン期間は、完全に自由時間だ。とはいえ別に観光という気分でもなかったし、父の様子もとても不安定だったので私たちは基本的にずっとホテルの部屋で過ごした。

 食事は近所のスーパーなどで適当に買って食べた。基本的にパンしかないし、保存食的な意味合いが強いのかスイスの食べ物はどれもしょっぱい。日本食の店もあるにはあるが、美味しくはない上にぼったくり価格だ。「日本のご飯って、美味しかったんだな」などと呑気なことを考えながら、私は口に合わない食べ物を苦笑いで胃に流し込んでいた。

 母や姉とは、スイスに着いてからも家族のグループLINEでメッセージのやり取りをしていた。

「冷やかしで買ったパック寿司がマズかった!」

「美味しい日本食が食べたい!」

 まるでただの海外旅行に来ているかのような会話をして楽しんだ。特にすることもなかったし、これは良い気分転換になった。

 そして迎えた、最後の夜。私は心変わりすることなく、当日を迎えられそうだった。問題は、父だ。さすがに今さら私を説得しようとまでは思っていないようだったが、父の混乱はピークに達していた。


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