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山梨県キャンプ場女児失踪事件「今から殺しに行くぞ」目を離したうちに娘が行方不明 失意の母親を襲った「ネットの心ない誹謗中傷」の嵐 [Grrachus★]
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2023/04/16(日) 20:14:56.35ID:+Kihv9wH
4/16(日) 11:12   文春オンライン
https://news.yahoo.co.jp/articles/f087b333c410ec9440b319a540dc9b913e948b58

保育士から「子どもの服が汚いんですよね」と言われたことで自信喪失…そんな母親を救った「ある1冊のマンガ」との出会い から続く

《写真を見る》7歳少女が消えた「山梨県道志村のキャンプ場」

 キャンプ場でたった10分間、目を離しただけで娘が行方不明に……。失意の母親・小倉とも子さんに、さらなる試練が押し寄せる。彼女に向けられたネット上の「悪質な誹謗中傷」の数々とは?

 ノンフィクション作家の河合香織さんの新刊『 母は死ねない 』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◆◆◆

「朝が来るのが怖い。あの子がいないことを再認識するから」

 20年近く前に、子どもが突然失踪したある家族が静かに発したその言葉は、時を経ても私の悪夢であり続けてきた。

 当時、私は全国各地の児童失踪事件を取材していた。少し目を離した隙に娘がいなくなったことから、下の子どもがちょっと目に入らないと家の中でも心配で探さずにはいられない母。

 家族がバラバラになり離婚したいけれど、娘が戻ってくるまではそれもできないと話す母もいた。一様に自分を責め続け、そして疲弊しているように見えた。

 一方で、犯人だと疑われた人にも話を聞いたが、その家にも小さな子どもが生まれ、柱に「家内安全」の御札が貼ってあり、混乱と悲しみは深まるばかりであった。

 取材者は泣いてはいけないと編集者から言われてきたけれど、その取材で私は母たちと一緒に静かに泣いた。

 その後も、子どもが失踪してから何年が経ったという報道を見る度に、いつまでも醒めることのない悪夢を見ているような思いになった。

キャンプ場で突然、娘を失った母親
 家族の絶望の深さに思いを馳せるにつれ、ある母に会いたいと思いながらも、すぐには連絡することができなかった。その苦しみに立ち入ることは簡単にはできないと思ったからだ。

 キャンプ場でたった10分間、目を離した際に子どもがいなくなったなんてどう考えても悪夢だろう。追い打ちをかけるようにSNSでは母の振る舞いに誹謗中傷が集まっていた。

 大きな台風が日本を直撃した時も、新型コロナウイルスの流行で緊急事態宣言が発出された時も、私はその母と娘に思いを馳せていた。やがて一年という時間が経ち、何かを決意したような毅然とした彼女の記者会見を見た時に、私はようやく連絡を取ることができた。

 そこで母が語ったのは悪夢ではなく、人間が捨てることのできない「朝の希望」だった。

 小倉美咲はキャンプ場の朝が大好きだ。母のとも子はいつも朝五時頃に起きて、犬の散歩に出かける。それから火を起こして、朝食の準備を行った。

 大きい寝袋で母と一緒に寝ていた美咲も起きて、「ママと散歩に行く」と言い、体いっぱいに朝の空気を吸い込んだ。

「朝のキャンプ場は空気が気持ちよくて大好き。昼は蛇とか熊が出るから怖い。夜はおばけが出るから山が怖い」
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2023/04/16(日) 20:15:09.57ID:+Kihv9wH
 キャンプに参加する前、美咲は同級生にこう伝えていた。美咲がいなくなった後に、同級生の母からこの言葉をメールで伝えられた時、とも子は「娘は絶対に生きている」と感じた。怖い山に自分から入り込むことはないだろうし、もしも何かあっても朝が来たらあの子はがんばろうと思ってくれているはずだと祈っていた。

「だから朝になると私もがんばろうと思います。美咲が見つかる夢しか見ないから、夢の情報であったとしても手がかりにしたくて、いつも枕元にメモを置いています。つらいのは夜眠る時。今どこで寝てるのかな、私がいないと眠れない子だったのにどうしているんだろうと考えると苦しくなります」

 そんな苦しみを吐き出すため、とも子は自宅にいる時も朝の5時に起きて、近所の神社をまわり、長女が起きる六時前には帰宅するようにしていた。まだ薄暗い中、御神木に泣きながら話しかけることもあった。

「私の本音はここでしか話せません。1000年生きてきたら、いろいろ見ていらっしゃいましたね」

 樹齢千年を超えると言われる御神木は、戦争で子どもをなくした母親の姿も見てきただろうととも子は想像した。苦しんでいるのは自分だけではないと考え、木にお礼を言った。

「いろいろな人の話を聞いて大変でしょうが、聞いてくれてありがとうございます。またつらくなったら来ます」

 人に弱みを見せるのが苦手で、人前で取り乱すこともあまりできない自分の本音を吐き出せるのはこの御神木にだけだった。

 その家は時間が止まったかのようだった。壁に飾られた習字も誕生日に写真館で撮った写真も一年前からほとんど変わっていない。とも子の後悔は堂々巡りを繰り返し、最後はあの十分に立ち戻った。

「一生自分を責め続けるでしょう」
「美咲が私に何も声をかけずに勝手にどこかへ行ったなら、ここまで自分を責めなかったかもしれません。でも、その日わざわざ私のところに来て、『遊びに行ってもいい?』と聞いてくれたんです。それまでは勝手にどこにでも行ってしまう子だったのに、随分お姉さんになったなと頼もしく思いました」

「どうしてついて行かなかったのだろう」と激しく悔やみながら、その場面を幾度もとも子は頭の中で再現した。

「子どもたちにおやつを食べさせ、片付けが終わりやっと腰をおろしてお茶ができる時間だと思って、おしゃべりをしていました。なんてくだらない考えだったのだろうと自分に腹が立ちます」

 状況が変わらない以上、後悔も変化しない。自分を責める苦しみは、出口がないのではないだろうか。

「美咲が戻ってくるまで一生自分を責め続けるでしょう。でもどれだけ悔やんでもその日に戻れないこともわかっています。その後悔は、私が前向きに美咲を探す原動力になっている。後悔してそこで落ち込むだけ落ち込んだら、やっぱり私のせいなんだから、私ががんばらないといけないと思い直すのです」
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2023/04/16(日) 20:15:42.48ID:+Kihv9wH
 美咲がいなくなった日は、5時半に日が暮れた。深夜3時過ぎまで皆で捜索し、朝六時から再開するためにいったん休もうという話になった。でも眠れない。とも子は娘と同じジーンズとヒートテックという軽装で森の中に座って、ランタンを燃やし続けていた。目の前に広がる闇は深く、重量を感じた。でも闇の中の灯りはよく光るはずだ。

 次の日に会えた時に、「ごめんね。昨日はママも同じ格好でいたよ」と抱きしめることを想像してその夜を過ごした。だが次の日も見つからなくて、日暮れがどんどん近づいてきた。雨が降り出し、気温は前日よりもぐっと下がって十度になっている。今日もまたこの雨の中一晩外にいさせてしまうかもしれないと思うと、恐怖が膨らんでいく。

 山での生死を分けるのは72時間だと聞いていた。その恐れていた72時間がやってくる。夕暮れの中、とも子は膝を崩して泣いた。山にいてほしいと願っていたけど、山にいたら生きていけないかもしれない。雨が降って寒かったし、あの服装では凍えてしまう。

 どれほどの絶望の中にいても、それでも朝5時半には夜はあけた。ボランティアの人たちに食事をとってもらえるように、火を起こして味噌汁やおにぎりの準備をした。寒い雨にもうだめかもしれないと泣き崩れても、朝になると「待てよ。この雨で水を口にふくんだかな」と前向きに考えられた。前向きな性格だからではない。諦めることはどうしてもできないからだ。

「せめて暖を取れる場所にいてほしいなと思いました。すぐに戻ってきてほしいのはもちろんですが、母親って子どもがどういう状態で、どういう状況でいるのかが一番気がかりじゃないですか」

 もしも誰かに連れ去られていても、暖がとれてお腹がすかなくてしっかりそこで生きていられれば戻ってこられる。そう願っていた。

やまない誹謗中傷
「今から殺しに行くぞ」

 当初からやむことのなかった誹謗中傷は、とも子が犯人だと責め立てるものから脅迫にまで発展した。とも子の家に何時に電気がついていた、消えていたなどと監視するような投稿もあった。

 小学生の長女に見知らぬ人が家の前で、「ママはどうしてるの?」と声をかけた様子もネットに投稿される。長女は意味もわからず、「ママの友達に家の前で会ったよ」と無邪気に話していた。「そうなんだ、教えてくれてありがとう」ととも子は言った。長女に外は怖いという恐怖心を与えたくなかったからだ。
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2023/04/16(日) 20:16:21.36ID:+Kihv9wH
 長女は妹がいなくなった当初から、学校で「美咲ちゃんのお姉ちゃんでしょう」「美咲ちゃん大丈夫?」と何度も聞かれることに苦しんでいた。

「自分が自分じゃなくなっちゃった。大丈夫じゃないのに大丈夫って何百回と言うのが嫌だ」

 とも子が山梨で捜索している間、長女は祖父母の家の押し入れで毎日泣いていたという。それでも祖父母を心配させないために、学校に行きたくないとは言い出せなかった。

 母が台風のために一時的に自宅に戻ってきた時に、長女は「もう学校に行きたくない」と泣いた。それでも3ヶ月の不登校の末、ようやく12月末から少しずつ学校に行けるようになったが、車で送っていっても泣いて降りようとしない時間が続いた。車は自分を守ってくれる安全地帯で、一歩外に出ると恐ろしいと思っていたようだった。

 それなら家から友達と歩いて登校した方がきっかけがつかみやすいかもしれないと、とも子は片道40分ほどの学校までの距離を毎日付き添った。そんな矢先に、見知らぬ人が長女に平気で話しかけてくることにとも子は怯えた。

荒んでいく長女の気持ち
 長女の気持ちは、妹がいなくなってから荒れていた。身長は150センチもあるのに1歳児のように泣く。いつもいらだっていて、大きな手足でとも子を殴ったり蹴ったりしたこともあった。とも子は「抱きしめてほしいんだろう」と思って抱きしめようとしても、長女からは強い拒絶と反抗の言葉をなげつけられた。

 以前だったら「そんな言葉使わないの」と注意していたが、妹がいなくなって長女もつらいのだからと何も言わずに受け止めていた。だがある時に、とも子は長女を怒った。

 長女は「美咲」の名前も「山梨」も聞きたくない様子だった。だから、それまでは美咲のことは触れないようにしていたが、その時初めて美咲に思いを馳せる言葉を使った。長女はわあっと大声で泣いて、とも子も一緒に泣いた。腫れ物に触るかのようにそれまで長女を怒る人は誰もいなかった。でも、それは長女のためにならないと思った。一人の人間として向き合う必要があった。

次ページは:「本当に美咲ちゃんがかわいそう」
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2023/04/16(日) 20:16:56.00ID:+Kihv9wH
「本当に美咲ちゃんがかわいそう」
「ママだって苦しいけど、なんとかやってるよ」

 とも子は自分の思いを伝えた。そこから長女が変わったという。「今日のこのご飯、美咲が好きだよね」「このテレビ、美咲が大好きだよね」と自分から美咲のことを話題に出すようになった。

 そして2020年2月末にコロナで休校が決まった時長女は言った。

「なんで学校を休まなくちゃいけないの」

 行けなくなった時に日常の大切さがわかったんだなと、とも子は感じた。そして今なら受け入れてもらえるかもしれないと提案してみた。

「学校に行けるようになるまで美咲のためにがんばらない? 一緒に山梨へ行かない?」

「行く。一緒に探す」

 旅行ではないから贅沢はせず、キッチン付きのホテルで自炊することにした。5日間の日程のうち1日だけ長女が遊べる時間を作り、それ以外は道の駅やホームセンター、コンビニにチラシを貼らせてくださいと2人で頼み込んだ。

「あなたお母さん? 自分が目を離さなければこんなチラシ配りしなくて良かったのに。本当に美咲ちゃんがかわいそう」

 チラシを渡した人からこのように非難されることは一日に何度かあった。それでもとも子は引かなかった。

「そうですよね。私も本当に後悔しています。でもあの日に戻ることはできないんです。もしかしたらお母さんの家の近くに美咲がいるかもしれないので、絶対うちの娘の顔を覚えていて下さい」

 そう言ってチラシを手渡し、何万回と頭をさげてきた。

 誹謗中傷されても、SNSで発信し続けるのも同じ思いからであった。

 前面に出るとも子に対する誹謗中傷は大きくなっていく。その内容は、髪を切った、カラーリングをしたといったものだったが、カラーリングはもともとキャンプの直前にしたばかりだったし、髪は美咲を捜しやすくするために美咲と同じ長さに自宅で友達に切ってもらっただけだった。

 着飾りたかったわけではない。それからは非難されないようにと、化粧もせず、地味な服を着て、伏し目がちに話すようになった。本当はこれ以上もうメディアに出たくはなかったけれど、警察からは「お母さんが出ると情報が集まる」と言われていたから、やめる選択肢は考えなかった。

「誹謗中傷をこれ以上受けないように、自分を繕っていたところがありました。非難されないように、目立たないようにしていました。でも、娘がどこかでテレビに映る自分の姿を見ていたら、『こんなボロボロになって泣いていて、私のせいでお母さんがおばあちゃんになっちゃった』と悲しむのではないかと思いました」

 とも子がおしゃれをすると、美咲はいつも「ママかわいい」と喜んだ。それなのに、とも子は批判を恐れて着たくもない服を選んでいた。しかし、それでは長女と同じように、自分が自分でなくなっていたのだと気がついた。行方不明になる以前と同じ服装と最低限のマナーとしての化粧をして、取り繕わない姿でメディアに出ようと決意した。

「お母さん、変わりましたね。一年経って、もっとくしゃんとなっているかと思ったら、這い上がりましたね」

次ページは:生活を立て直すとき
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2023/04/16(日) 20:17:21.27ID:+Kihv9wH
生活を立て直すとき
 メディア関係者からもそう声をかけられた。それまでとも子は、一年で娘を見つけることを目標にして生きてきた。その期限が過ぎてしまい、娘が帰ってくるのは1年後2年後3年後なのかわからない。自分が取り乱していたら気持ちがもたないから、落ち着いて冷静に前を向き、その時にできることをやっていこうととも子は思った。日常の生活を、長女との暮らしを大切にする。美咲が戻ってくる環境を整える。少しずつ生活を立て直そう、と。

 一年が過ぎたのを機に、これからは誹謗中傷とも戦うことも考えている。それまでは「誹謗中傷が苦しい」と言っても、「自分がつらいとかどうでもいいでしょう。美咲ちゃんが一番つらいはず。悲劇のヒロインをきどっているんじゃないよ」と批判されることを避けるため、二の次にしてきた。しかし一年が経って、どう足搔いて走り回っても、すぐに娘を助けられるわけではないこともわかった。

「今は美咲が忘れられてしまわないために活動を続けている。誹謗中傷も報道してもらうきっかけになればと考えています」

 とも子は小さい頃からいじめっ子がいると見て見ぬふりができず、注意をする性格だった。自分たちを誹謗中傷する人は、いつかまた他のターゲットを見つけて追い詰めるかもしれない。見過ごすことはできないと思った。

 この家の時間は一見止まっているように見えたが、実はそうではなかった。美咲と同じ長さにしたというとも子の髪が背中まで達するくらい、時間が流れていた。

「よくそんなに強くいられますね」

 そう言われると、とも子はいつも「私の母が強かったから」と答えている。誹謗中傷で自殺してしまう人もいるが、死にたいと思ったことは一度もないと断言する。とも子が7歳の時に父は事故で他界した。母は3人の子どもを1人で育て、弱音や愚痴を言うことはなかった。成人式にとも子が育ててくれたお礼を言ったら、「私のおかげじゃなく、周りの人たちが助けてくれたおかげだよ。そして私もあなたたちのおかげで生きてこられた」と母は言った。

 とも子は考える。もしも母の背中を見ていなかったら、そういう姿を知らなかったら、「なんでうちの子だけ、なんで私だけ」と絶望の淵に突き落とされただろう。でも、人間は周りの人の助けの中で生きていることを母から学んだ。

「いなくなったのがうちの子で良かったとは決して思わないけれど、他の家の子じゃなくてよかったとは思います」

次ページは:強くあろうと立ち上がる母の決意
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2023/04/16(日) 20:17:56.76ID:+Kihv9wH
強くあろうと立ち上がる母の決意
 母譲りの強さは、美咲にもまた受け継がれているのだろうか。

「美咲もとても似ています。だからどこかで朝の希望を持ち、強く生きていてくれていると信じています」

 美咲の1年生の通知表には「悪いことは許せない正義の味方で、ルールを守らない友達には注意することができました」と書かれていた。

 人は自分のことなら絶望もできるが、わが子のことは容易に諦められない。その母の思いが希望に繫がっているのだろう。20年前に取材で泣いた私は、とも子の話では涙が出なかった。受け渡されたのは悲しみだけではなく、強くあろうと立ち上がる母の決意だった。

取材後の2022年には捜索に大きな進展があり、事件の結末が報じられた。小倉とも子さんの、その後のエピソードは書籍『 母は死ねない 』(179〜190P)に収録。
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2023/04/16(日) 20:25:37.29ID:trG2V+XM
またネトウヨか。
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2023/04/16(日) 20:57:21.14ID:Zv0uwLc2
あの報道陣目の前に笑顔でポーズ取ってるgifお願い
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2023/04/16(日) 21:41:17.48ID:s5StvfqE
まだ犯人が捕まっていません
真犯人は近くにいるのでは
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2023/04/16(日) 22:16:20.18ID:MojIQkcE
これって何かの宗教団体で子供を放置する会だったんだろ
目を離した隙に迷子になっただけ
その後は熊に食われたと思うけどね
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